小説「喝采」メールインタビュー vol. 2
- 2020.04.19
- インタビュー
「目の前の現実を、いち書き手として、また歴史のいち証言者として残したいと思った」。ロックダウンしたパリで、執筆を決意した小説「喝采」のメールインタビュー第二弾。
——マハさんはロックダウンしたパリに滞在されていましたが、ロックダウン前、後のパリの様子は、緊急事態宣言後の日本とまったく違っています。華やかな街が一転しロックダウンしたパリで、マハさんが一番に感じたのは、驚きや恐怖など、どういった感情でしたか?
すべてがあっというまに始まったことが、一番の驚きでした(Day 5)。フランスという国が「やるときはやる」底力を持っているんだということも驚きでしたが、民主主義、つまり主権は自分たちにあることを国民がどこまでも主張する国でもあります。電光石火で強力に推し進める代わりに補償することを忘れない、それが肝心でした。そうじゃないと国民が黙って自宅待機してくれるはずがないから。日本とは全く違う社会構造がある、強い民主主義の国なんだと思い知らされました。
——日本へ帰ることができないかもしれない、という状況は、今まで世界中を飛び回っているマハさんでも、初めての経験だと思います。パリの状況が刻々と変わるなか、どんな不安を抱え、どう乗り越えられましたか?
ロックダウンされた街中を歩いていると、完璧な映画のセットの中にいるようで、例えようもなく美しい街だと感じると同時に、物悲しさや虚しさも感じました(Day 7)。パリという街は実に人間くさい街なのだとわかりました。人がいて、にぎわっていたからこそ、美しさが際立っていたのだと。
それぞれが自分の場所に引きこもるしかなく、むしろ仕事に集中できるだろうと思っていたのですが、実際にはおろおろしてなすすべなく、手を洗うことに集中するばかりでした(Day 11)。帰れないかもしれないという考えが浮かんだとき、美しいパリの行く末を見極めるのもいいかなと、妙にセンチメンタルな気分になったりもしました(Day 12)。が、その気持ちを一変させたのが、志村けんさん逝去のニュースでした。
あんなに多くの人たちに愛された志村さんが、ウィルスに命を奪われ、誰にも見送られることなく一人で旅立ったと知り、そこはかとない衝撃を受けました。私は、パリにいる自分を志村さんに重ね合わせました。もしここで重篤な状態になったら、医療現場を混乱させ、フランスの友人たちに迷惑をかける。万一命を落としたら、どこに葬られるかもわからず、日本の家族や関係者、読者の皆さんを落胆させるでしょう。自分のことなのに自分で責任を取れない。そう気がついたとき、帰らなければと思ったのです(Day 14)。日本でならば、最低限、自分のことは自分で責任が取れる。せめてそこまではもっていかなければならないと。
結局、志村さんの早すぎる死に背中を押されたかたちになりました。お会いしたことはなかったのですが、山田洋次監督は「笑いの天才だ」とおっしゃっていました。本当に偉大な方だったと思います。
彼の死を絶対に無駄にしてはいけない。志村さんの逝去は日本の人々に「パンデミックを甘くみてはいけない」という最強の警告になったと思います。実際、彼の逝去後に、政府も含め、人々の意識が劇的に変わったと感じます。
——「喝采」のタイトルがどういった物語に繋がっていたのかわかったとき、心が震えました。この回を描くことで、マハさんは希望を伝えたかったように思うのですが、いかがでしょうか?
ロックダウンが始まってしばらくしてから、医療従事者への感謝の気持ちを表すために、20時ぴったりにバルコニーで拍手を送るというアクションが自然と広がりました。私の書斎はセーヌ川沿いにあるのですが、20時ちょうどに晩鐘が響き渡り、同時にさざ波のような拍手の音が聞こえてくるのです。私も窓を開けてそれに加わりました(Day16)。この喝采は、命がけで闘っている医療従事者への感謝のしるしであると同時に、パリじゅうの人々の「自分たちは生きている、みんな一緒だ、生き抜くんだ」という連帯の決意表明、命の証しだと感じました。空っぽの街、流れゆくセーヌに響き渡る喝采はこの上もなく感動的で、深く胸に刻まれました。この体験を忘れないために文章に残したいと強く思い、まずタイトルが決まりました。
——美しいパリの写真、また絵画の写真と一緒に「喝采」を投稿されていましたが、マハさんが撮り溜めていたパリの写真、またロックダウン中に撮影された写真ですか?
すべて私がパリでロックダウン中に撮影したものです。人っ子一人いないパリの街角の風景は完璧に美しいのですが、もの寂しい景色でした。経済活動が止まっているので、騒音が消え、大気が澄み、空は青く、絵のような夕焼けが広がっている。何という皮肉なのだろうと思いました。
レオナルド・ダ・ヴィンチの作品が2点、入っていますが(Day 9 / Day 14)、これだけは2月24日のルーヴルでの展覧会会場で撮影したものです。Day 14 の「聖母マリアの膝にかかったドレープの習作」は、レオナルドが20代の時に描いたもので、30cm四方の小さなドローイングなのですが、なんというかもう、ただただ圧倒的なんです。これが550年も前に、弱冠20歳そこそこの(当時は)無名の若者によって描かれたということも驚異的なのですが、それ以上にすごいのは、550年もの間、これが人の手によって守られ伝えられたということ、そして550年後の現在を生きる私たちがこれを見て感動できる感性を持ち続けていること。人間の本質は変わらないということを、この小さな紙に描かれた絵が教えてくれています。この絵の存在に勇気づけられて、私は、表現者が「生き抜いて何かを人の心に残す」ことの大切さを実感しました。
(小説「喝采」メールインタビュー vol. 3 につづく)
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