小説「喝采」メールインタビュー vol. 3

2020.04.19
インタビュー

 ロックダウンしたパリで、20時ちょうどの晩鐘ととも響き渡る喝采。この体験を忘れないために文章に残したいと、最初にタイトルが決まった小説「喝采」のメールインタビュー最終回。

 ——この新型コロナウイルスと闘うには、引きこもることの重要性を頭で理解していても、実際に人との距離を保ち、引きこもることの難しさも感じています。引きこもるということが、自分を守り、他者を、世界を守ることになる。その点について、マハさんのお考えを教えてください。

 このウィルスにどのように感染するか、日を追うごとにわかってきました。唾の飛沫が主な感染源になっているとわかり、マスク着用、対人距離(ソーシャルディスタンス)を1.5―2m置くこと、「三密」を避ける、などが次第に周知されました。もっと言えば、人と会わない、会ってもしゃべらない、積極的に引きこもることが、結局は自分を感染から守り、自分以外の誰かを守ることにもなる。パンデミックを収束させるにはそれしかないのだとわかりました。
 このウィルスのあざとさは、感染しても無症状で、潜伏期間にも他者を感染させてしまうところです。熱があったり咳が出たりすれば自宅で安静にするのは当然ですが、何の変化もないからと普通に他者と接してしまって、どんどん感染を広げ、既往症や持病のある人、高齢者といった弱者を重篤な状態に追い詰めてしまうのです。感染者本人はまったく気づかない間に。それが一番恐ろしいのです。
 各国が厳しいロックダウンを施行したのはそういう理由からです。但し、補償もないのに外出禁止や店舗、企業の閉鎖を言い渡したところで、人々が聞き入れるはずがありません。ウィルスに感染するリスクを抑え込めても、生活が行き詰まって生きていけなくなるリスクが高まってしまっては元も子もない。だから各国は補償とセットでロックダウンを実行しました。ところが日本政府にはその英断ができなかった。100%の補償はできないし、責任を誰も取ろうとしないから、強制力のない「自粛要請」をするしかない。最初から及び腰でした。これでは国民が怒るのは当たり前です。
 私はロックダウン前後の各国のリーダーの発言に注目してきましたが、最も琴線に触れるスピーチと施策をし、国民の支持を得て、感染拡大防止に一定の効力を発揮できたのはドイツのメルケル首相でした。彼女のスピーチをリアルタイムで翻訳した日本人翻訳者がいて、スピーチの翌日にすぐに読むことができました(林フーゼル美佳子 ホームページ)。私はメルケル首相のリーダーとしての優れた資質をこのスピーチで知ったのと同時に、それをすぐに訳して発信した日本人翻訳者の感性と使命感にも感動しました。このスピーチを日本人が知るべきだと、ドイツ在住の彼女は直感したのだと思います。こうしたコミュニケーションの下支えを進んでしている賢明な方の存在にも、私は勇気づけられました。

以前、マハさんがニューヨーク近代美術館(MoMA)で撮影したゴッホの「星月夜」。この絵が『たゆたえども沈まず』の装丁に使われている。

 ——マハさんはいまこそ『たゆたえども沈まず』を読んでほしいと言っていました。いま自粛中のみなさんに届けたいと思うポイントは、どこにありますか?

 ロックダウン中のパリで、私は毎日窓辺でセーヌの流れをみつめ、1日1度の外出の際にも橋の上からセーヌを眺めていました。その間、孤高の存在だったゴッホのことを思いました。彼はその壮絶な人生において、孤独と闘い続けたのは間違いありません。けれど一方で、あえて孤独と向き合う勇気を持っていたようにも思います。その証拠に、最も孤独で世界から取り残されたような最後の1年間に、最も優れた作品を残しているのです。
 アーティストはひとりになったときにこそ、自分と向き合い、感性が研ぎ澄まされるのだということを、ゴッホの作品は教えてくれています。けれど、孤独の果てに生み出されたものが、誰かが受け止めてくれて初めてそれは「作品」になる。それは小説でも音楽でも演劇でも、芸術というものはすべて同じだと思います。表現者が発信して、それを受信する誰かがいなければ、アートは成立しないのです。
 ゴッホの場合、それは弟のテオでした。ゴッホ兄弟は、100年後にゴッホの作品がこれほどまでに世界中で愛されることなど想像できなかったでしょう。まるで嵐の中で荒波に揺さぶられる小舟のように、彼らは波を被ったまま逝ってしまいました。けれど結局、嵐がゆきすぎた後、作品は波間から現れ、世界に受け入れられた。「たゆたえども沈まず」とは、ゴッホ兄弟が命を賭して成し遂げたことを暗示するタイトルです。
そもそもこの言葉はパリ市の紋章に刻まれている言葉です。古来、パリの中心を流れるセーヌ川は、たびたび氾濫して船乗りたちを困らせました。けれど船乗りたちは、パリをセーヌの中心にあるシテ島にたとえて、こう言いました。――嵐の時にはシテは舟のように揺さぶられて波を被り、姿を消すこともある。けれど嵐が過ぎ去れば、また姿を現す。パリはシテのようなものだ。パリはたゆたえども沈まず。――そして、この言葉を自分たちの船の舳先に掲げてお守りにしたということです。
 時代の荒波がどんなに逆巻いても、私たちは、たゆたいこそすれ、決して沈まない。今は荒波を被り、じっとこらえるその時。けれど嵐が過ぎれば、また波間に姿を現し、進み出すことでしょう。今だからこそ、この言葉を胸に、本作を読んでいただければと願っています。

 ——いま営業を続けている書店では、ふだんよりも来客が多く、本もよく買われていると聞きます。まだ終わりが見えない自粛を続けるなか、どういった心がけが必要だと思われますか?

 ロックダウン中に兄(原田宗典)に連絡をしたときに、「俺がごろ寝をするだけで人類を救えるとは」と言っていて。さすがです(笑)。
 私もこれまでは「移動が趣味」と公言していたくらいで、時間に追われていつもバタバタ。けれど今はゆっくりとマイペースを作り、執筆と読書、手作りの料理を楽しむ時間を過ごしています。
 美術館へ行けない、旅ができないのは寂しい限りですが、この状態は永遠には続かないし、自分に限ったことではない。しばらくの間、世界中のみんなで根くらべです。ある程度時間がかかることは覚悟しつつ、医療崩壊を避けるために、まずは自分が罹患しないよう自分の体調に気を配ることが肝心です。免疫力を高めることで感染を防げるということですが、じゃあどうしたらいいのかというと、バランスの良い食事と十分な睡眠、規則正しい生活がいちばんなのだそうです。
 アートや音楽、演劇などの芸術に接することは免疫力を高めるのに有効だという研究結果もあります。コロナ後の世界で本物の芸術を心ゆくまで楽しむ日を頑張り抜いた自分へのご褒美として、今はその日のために関連の画像や映像、本を見たりして、知識を磨くいい機会だととらえてはどうでしょうか。
 自分が家でゆっくりすることで人類を救うために協力しているのだと考えるのは、なんとも素晴らしいことです。かつてはヨーロッパでペストの大流行の後、ルネサンスが始まりました。人間らしく生きること、当たり前だけれど何よりも素晴らしいことをみつめ直す機会ととらえ、自分と誰かを思いやって、すべての人に何としても生き抜いてほしい。私もその一員として、これからも生き抜いて、書き続け、発信していこうと決心しています。

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