最新刊『板上に咲く』インタビュー vol. 3

2024.03.27
インタビュー

 棟方志功夫妻への尊敬の思いを詰め込んだ、マハさんの『板上に咲く』。戦前戦後の厳しい時代のなか、ゴッホに憧れた棟方は、どうして世界のムナカタになり得たのか。美術史的な背景も踏まえながら、棟方のドラマチックな人生を描いた最新刊インタビュー最終回。

民藝という枠組みに棟方志功を招き入れた柳宗悦のプロデューサー的な勘の良さ。

 ――棟方は「白樺」で見たゴッホの<ひまわり>に魅了され、複製画をお守りのように家に飾っていました。全編を通じて、棟方夫妻の関係性やチヤの精神面の描写に、<ひまわり>を効果的に登場させていますね。

マハ……<ひまわり>は二人の心をつないでいくひとつのシンボルとして捉えました。棟方という太陽を追いかけていくチヤではあるけれど、ひまわりそのものも力強く生きている。『板上に咲く』のなかで、チヤは自分自身はなんなのかという問いの答えにたどり着きます。チヤは棟方作品の一部と言ってもいいような生き方をしているように見えますが、チヤは自分の生きていく道をちゃんと見つけていたと思うんです。

 ――本作では柳宗悦たちによる民藝運動にも焦点を当てられていて、棟方は柳を師と仰ぎ、柳もまた棟方作品を愛している。二人の出会いには、運命的なものを感じました。

マハ……1936年の国画会で棟方が柳宗悦に見出されなかったら、彼が世の中に認められるまでにもっと時間がかかった可能性がありますよね。戦前戦後の日本では西洋のものが珍重される傾向にありましたが、日本のフォークロアには素晴らしいものがあって、柳は民藝運動のなかで、素直な良さ、命の通った美しさを見出していきました。民藝が持つそういった側面は棟方作品に通じるものがあって、民藝という枠組みに棟方志功を招き入れた柳宗悦のプロデューサー的な勘の良さも秀逸です。
 棟方には「もしあのときこの人に出会ってなかったら……」という出来事がたくさんありましたが、彼は不思議なくらいに最善な道を選んできた。人生のそのときそのときはわからなかったかもしれませんが、彼にとっての未来を生きる私たちが総括してみると、BというチョイスではなくAに進んでよかったという場面が何度もありました。彼がベストな選択をできたことは、もう動物的な勘としか言えなくて、棟方はすごい本能の持ち主だったと思えるほどです。
 民藝という大きな背骨に支えられたことは、棟方志功というアーティストを形成するうえでの糧になったでしょうし、彼の生きていく強さ、運命的な強さを象徴することだと感じています。

いま苦しいとしても、生きている限りかならずどうにかなる。それを棟方が教えてくれる。

 ――『板上に咲く』を読んで、苦難を乗り越えて、世界のムナカタと呼ばれるまでになった棟方の生き様、生涯を通じて揺るがないチヤのまっすぐな愛を知り、そんなすごい画家が日本にいたことを誇らしく思えました。マハさんはこれから読まれる読者の方に、どんな言葉をそえて本書を届けられますか?

マハ……大丈夫だよ、という言葉に尽きますね。読者の方には悩みも人それぞれあるでしょうし、生きていると楽しいことばかりではない。でもそういう人たちに向けて、あえて大丈夫と言いたいです。
 なぜなら棟方はどんな状況であっても、挑戦することをやめなかった。どんなにどん底でお金がなくても、誰かにダメだと言われても、おかしな人だと思われても、物がよく見えなくても、彼は諦めなかったから、人生の大切な局面を逃さずに活かしきれました。
 傷つくのがいやで、挑戦しない人もいるかもしれませんが、やり直せる時間がたくさんある若い人にこそチャレンジしてほしいと思っています。失敗してもいいんですよ、そのいいお手本が棟方なんです。いま苦しいとしても、生きている限りかならずどうにかなる。それを棟方が教えてくれると思います。
 私は棟方の人生を見たことで、諦めなくてもいいと思えるようになりましたし、その思いをシェアしたいです。世界中で自然災害や戦争があったり、大きな事故があったり、大変なことばかりですが、そういうときこそ、彼のDNAを受け継いでるはずの私たちは、棟方ができるから私たち日本人にもできると上を向きたい。「いや大丈夫、もういっちょいこうか」そんな言葉をみなさんに届けたい気持ちでいます。

(構成/清水志保)

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