小説「喝采」メールインタビュー vol. 1

2020.04.19
インタビュー

 18日間連続で原田マハ公式Twitter、「マハの展示室」公式instagramで配信された小説「喝采」。4月16日に最終回を迎え、「マハの展示室」で一挙公開したばかりの本作について、マハさんにメールインタビューを敢行しました。

 ——SNSを通じて18日間連続小説「喝采」を連載しようと思った経緯は、なんでしょうか? 作中の私=マハさん、と受け取ることができ、私小説のように感じましたが、いまのマハさんの思いをTwitterで吐露するのではなく、小説の形をとられたのはなぜですか? 

 私はパリに拠点を持ち、普段から東京とパリを頻繁に行き来しています。行けばいつでも素晴らしい展覧会をやっていて、存分に取材もできる。そうやってこの5、6年はパリを舞台にしたアート小説を次々に書いてきました。
 今回もルーヴル美術館でレオナルド・ダ・ヴィンチの没後500年を記念した今までにない大規模な展覧会を開催していて、その最終日(2月24日)に滑り込むようにしてパリ入りしました。ものすごい人出と熱気で、今思えば「三密」すべてが揃っていました。フランス人やイタリア人と顔をくっつけあうようにして展示を見ましたが、アジア人はなんと私だけでした。その頃、新型コロナウィルスが中国で猛威をふるい、日本でも豪華客船でクラスターが起きて問題になり始めていました。パリでは全く危機感ゼロで、パンデミックなんて遠い国の出来事。3週間後にこの街がロックダウンするなんて言ったら変人扱いされたでしょう。でも私は、ダ・ヴィンチ展にアジア人が全くいないことがかえって不気味でした。あれほどまでに街中に溢れかえっていたアジア人観光客がすっかりいなくなったこの状況は、よほど深刻なんじゃないかと。
 それからほどなくして、イタリアで感染者が増え始め、3月の第1週にはフランスでもニュースで連日取り上げられるようになりました。ふと、この先美術館が閉鎖される予感がして、2月の最終日にルーヴルへ出向き、10年前に私が館内でみつけた「ルーヴルの最古の収蔵品」であるメソポタミアの壺を呼ばれるようにして見に行って、インスタグラムにアップしました。すると翌日に本当にルーヴルが閉鎖されたのです。これはただ事ではないと思いました。
 結局、その2週間後にロックダウンが実施され、私は偶然にも歴史的事件の当事者かつ目撃者という立場に自分がいるということに気がついたのです。『暗幕のゲルニカ』や『美しき愚かものたちのタブロー』でも書きましたが、1940年にナチス・ドイツによるフランス侵攻とパリ占領という歴史的瞬間がありました。まさにそれに匹敵する瞬間に立ち会っていると気づいた時、私は自分ができる方法で、このことを記録に残したいと思い、リアルタイムで小説を書こうと思い立ちました。ツイッターにコメントを投稿することも考えましたが、SNSは即効性があるものの流れて消えていくメディアです。留まらないのがいいわけで、そこは小説との大きな違いです。私は目の前の現実を、いち書き手として、また歴史のいち証言者として残したいと思ったのです。
 今、カミュの『ペスト』が世界中で読み返されているということですが、まさにそういうことです。今この瞬間を読者と共有すると同時に、コロナ後の時代へのメッセージとして残したい。それが「喝采」を書き始める一番のモチベーションでした。

 ——それほど遠くないタイミングで最終回がくるとわかっていも、毎日、どんな内容の配信があるのかとても気になりました。読者の方の多くは、ロックダウン中のパリにいるマハさんのことを、とても心配されていたと思います。

 18日間という限定された日数に連載期間を定めた理由は、投稿を始める前日の3月29日の序文に明示しました。

 3月29日、日本の感染者1827名。フランス37575名。 18日前、フランスの感染者数は1784名だった。

 つまり、その日の時点で、日本の感染者数は18日前(3月11日)のフランスとほぼ同じ。3月11日のフランスでは、ロックダウンなど誰も想像できなかった。ということは、日本でも何かしら早急に手を打たないと、18日後にはフランスのようになっている可能性がある。その事実に警鐘を鳴らしたかったのです。
「喝采」を書こうと決めた3月29日は、「キネマの神様」の映画化で主演が決まっていた志村けんさんの訃報がもたらされた日であり、私が最終的に帰国を決意した日でもありました。正直、18日後に自分がどうなっているかまったくわかりませんでした。本当に帰国できているのか。帰国後の検査で陽性だったらどうなるのか。帰国者への心ない態度もニュースになっていました。不安もあり、怖くもあった。それでも一縷の望みを18日間の連載に託しました。この18日間に、日本がいい方向へ舵を切り、伝染を封じ込める策が講じられ、私たち皆がこのウィルスの恐ろしさを理解して、協力できているように。
 たちまち封じ込めに成功しているとは考えにくかったですが、私たちがぎりぎりのタイミングで気づきを得ている可能性はあると信じていました。そして実際、多くの日本人は、この追い詰められた状況の中で自分たちがどうすればいいか理解し、連帯して足並みを揃えようとしていると感じます。今では街なかでほぼ全員マスクをしているし、対人接触率を7割、8割に抑え込めている人も少なからずいると聞きます。そして3月29日から18日後の4月17日、日本の感染者数は9220人。18日前の約5倍です。増えてはいますが、フランスと比べると信じがたいほど少ない。フランスでは3月11日の18日後、感染者数は実に21倍に膨れ上がっていました。この差が一体なんなのかわかりませんが、日本人の意識の持ち方と生真面目さ、もともと備わっていた公衆衛生のエチケットなど、欧米人との違いは大いにあります。そのことをDay 17 で書きました。「人前で喋らない。それが日本人の強さだ」と。人前で喋らない、すなわち対面しながら唾液の飛沫を散らさないということです。欧米ではそうはいかない。彼らは声高に話してコニュニケーションし、自己主張することをよしとしています。それに比べて日本人は主張しない、おとなしいと言われてきました。なぜ言いたいことを言わないのかと。普通の時なら確かにそれは日本人の弱さかもしれません。ところが、今回のパンデミックでは、むしろそれが「強さ」に転じたのだと気づかされました。
 あらためて日本と欧米の文化や習慣の相違を見つめ直してみると、日本人には「公衆の面前」とか「人前」という意識、「恥」の文化があります。その感覚が欧米人と比べて相当強い。あくまでも私見ですが、それが今回のパンデミックでは有利に働いているのではないかと感じています。
 読者の皆さんには「マハさんはパリから帰ってこられるんだろうか」とずいぶん心配をおかけしてしまいました。小説という形式を取っていたので、帰ってきているというオチを明かすわけにはいかず、心苦しかったです。一方で、たくさんの応援をリアルタイムでいただき、本当に嬉しく思いました。

(小説「喝采」メールインタビュー vol.2 につづく)

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