トークイベント「いまひとたびの『風神雷神』」レポートvol.2

2020.03.09
レポート

「このトークイベントのステージは、私にとっては夢のなかにいるよう」と語り、小説『風神雷神』の冒頭を朗読するマハさん。マハさんの後ろに置かれた国宝「風神雷神」のレプリカが強い存在感を放つなか、マハさんの声が京都国立博物館の講堂に響きます。マハさんの創作と現実が交錯した会場で、ふたたびマハさん、佐々木丞平館長、永島明子さんとのトークが始まりました。

がんじがらめの師弟関係や確立されたスタイルから解放された宗達は、安土桃山時代のピカソ

マハ……今日は、日本を代表する作品である「風神雷神」を背負う位置に座らせていただき、とても光栄です。いまここにあるものは複製になりますが、本物の「風神雷神」の展示はいまお休み中なんですよね?

佐々木……国宝作品は一年で公開できる日数が30日と決まっています。重要な展覧会に出品しなくてはならないという事情もあり、今日、みなさまにご鑑賞いただけないことが申し訳ないです。
 ここにご用意した複製はただ印刷しただけのレプリカというわけではなく、「風神雷神」で宗達が金を使い表現した部分には、丁寧に金箔を貼り、さらにいかにも古びて見えるように職人の方が加工されたものです。

マハ……実はこの「風神雷神」には宗達の落款が入っていません。下手したら彼が描いたものではないかもしれない、という今でも実情がわからない作品です。

佐々木……原田さんが仰るとおり、署名もなにもないこの作品は絶対に宗達ものだという確証はありません。ただ研究者という立場から言わせていただくと、当時の日本のアートシーン、また絵の特徴や絵の具の使い方などさまざまな角度から検証した結果、消去法でいくと宗達以外に描けるひとがいないという結論に行き着きます。

永島……近代絵画が専門の佐々木館長から、宗達が生きた時代の日本美術について、少しご説明いただけますか?

佐々木……当時は狩野派と土佐派という大きな二つの流派がありました。流派は脈々と続いていて、狩野派には「洛中洛外図屏風」で有名な狩野永徳、土佐派には「源氏物語図画帖」の土佐光吉などが活躍します。ちょうど1600年ごろに登場した宗達は、原田さんの小説にもありますように、扇屋で扇を専門に描いていて、彼は土佐派の出ではないかと言われています。
 土佐派だと断言できないのは、流派で師弟関係が続く当時のなかで、宗達だけは先生が誰なのかがわかっていないためです。宗達の登場から100年経ったのちに、宗達の素晴らしさに気づいた尾形光琳が彼を私淑し、またその100年後に酒井抱一が光琳に私淑する、という形で、宗達を起点とする琳派がはじまりますが、それは「質画」といわれる、言わば琳派は絵師の才能が重視されるもので、代々継承されず、一代限り。これは、日本の伝統的な絵の考え方や思想を転換させた大きな出来事です。
 また狩野派、土佐派の絵と宗達の絵を見比べてみますと、前者では必ず絵のなかに意識されている空間認識が、宗達の作品ではとても希薄で、近景、中景、遠景という考え方を解放し、伝統的な視覚の世界を破壊しようという強い意識が見受けられます。
 紙の平面を大胆に使い、木を描くにしても輪郭線を縁取ることなく、木自体が持つ質感、手に触れたときの質感を絵の具の筆の表情で出していく。マチエール表現を重視し、画格からも自由になることで、「伊勢物語図色紙」では極彩色を使っていながら、型も空間も無視した草体的表現となっています。

マハ……私は宗達のことを安土桃山時代のピカソだと思っているのですが、なぜ彼はがんじがらめの師弟関係や確立されたスタイルから解放され、自分が思うままに創作できたのでしょうか?

佐々木……当時の絵師たちは御抱え絵師がほとんどで、ステータスが安定してはいても規則に従わなくてはいけない立場にありました。宗達がそこから自由でいられたのは、彼が町絵師だったということが一番大きかったと言えます。もちろん、町絵師であっても基本的な絵の画法を学ぶ必要はありますが、規則に縛られない点では、御抱え絵師よりも、宗達はずっと自由な絵師だったと想像できます。

マハ……だんだんと自由経済が進み、町衆たちが力をつけ出してきたという社会的な背景を反映している可能性もありますね。西洋のルネサンスでも世の中の情勢がクリエイターたちを後押しし、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジョエロといった素晴らしいアーティストが登場しました。安土桃山時代の日本のアートシーンと、遠い異国のルネサンスは響き合っているということもとても興味深いです。

永島……原田さんは宗達という人物のイメージを先に固められてから『風神雷神』を執筆されたのでしょうか? 書いているうちに宗達の人物像が自然と固まってきたところもありますか?

マハ……ほかの作家の方々が「登場人物たちが勝手に動く」と仰っているのを耳にして、私はずっと嘘だと思っていたんです。でも『風神雷神』を書いている間、宗達が私の思いをよらないほど元気な少年として活躍し、まさに「勝手に動く」という経験をしました。天下人・織田信長の前で、宗達が即興で絵を描くシーンが作中にありますが、信長を好奇心が強く、白黒がはっきりした人物と位置づけたことで、宗達は彼の関心を引くほど何事にも挑戦していくキャラの濃い少年になりましたね。(構成/清水志保)

(“トークイベント「いまひとたびの『風神雷神』」レポートvol.3 ”につづく)

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