最新刊『風神雷神』インタビュー vol.1

2019.10.31
インタビュー

  国宝「風神雷神図屏風」を描き、後世に名を残した俵屋宗達。謎の多い宗達の少年時代を、ダイナミックなフィクションで描いた歴史小説『風神雷神』が発売になりました。戦国の日本、ルネサンス・イタリアと舞台を移すこの奇跡の物語は、マハさんのどんなイマジネーションから生まれたのでしょうか。

作例を読み解くことで、そこに隠された秘密がわかるような気がした

 ——現代パートであるプロローグでは、京都国立博物館のキュレーター・望月彩が俵屋宗達の「風神雷神図屏風」に関する講演をするシーンから始まります。彩は子どもの頃に見た宗達の母子象の絵に魅せられ、宗達の研究者として彼の軌跡を追いかけてきた女性です。

 私もずっと彩と同じように、「風神雷神」で描かれているのが赤鬼青鬼ではなく、どうして白鬼青鬼なのかと疑問に思っていました。「風神雷神」は日本の美術史のなかでも非常に特殊な傑作でありながら、作者の俵屋宗達の背景はいくら調べても、生没年すらはっきりしていません。それでも宗達の作例がいくつか残っていますから、宗達という素晴らしいアーティストがいたことは間違いない。宗達が制作した当時の姿を留めている作例を読み解くことで、そこに隠された秘密がなにかわかるような気がしました。

 ——いつか宗達の作品だけを集めた展覧会を開催したいと望んでいる彩のもとに、マカオ博物館の学芸員・レイモンドが宗達に関する資料があると接触してきます。その資料とは「ユピテル、アイオロス(雷神、風神)」が描かれた西洋画の油絵と、天正遣欧使節の原マルティノが残したと思われる紙の束でした。この手記には俵屋宗達という文字があり、ここで一気にアートミステリのような盛り上がりを見せますね。

 おそらく宗達は1570年代に生まれ、1640年前後に没していると言われていますが、それはちょうど織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった戦国時代の歴史上の人物が活躍していた頃と重なります。安土桃山時代は美術史的に日本のルネサンス時代と称されるほど、豊かな文化が花開いた時代で、そこに宗達もいたかと思うと、胸踊るじゃないですか(笑)。せっかく京都新聞の連載で京都を舞台に美術関連の小説を書くのなら、日本の歴史小説に挑戦したいと思いました。

あらゆる逸脱や矛盾を乗り越えて、高揚感を味わえるのが小説の醍醐味

 ——第一章では舞台を1580年代に移し、まだ幼さの残る宗達の姿にフォーカスされています。宗達は京都の扇屋の息子として生まれ、扇に絵をつけていましたが、絵が評判を呼び、織田信長と謁見する機会を得ます。天下人を前に即興で象の絵を描いてみせたり、マハさんの描く宗達はとても思い切りのよい人物ですね。のちに織田信長の指示で狩野永徳が制作する「洛中洛外図」を宗達が手伝うことになるという展開には、もし本当にこの二人が描いていたなら!とワクワクしました。

「洛中洛外図」で有名な狩野永徳と宗達が同じ時代に生きていたと思うと、心踊りますよね。信長への謁見や、永徳と宗達に接点があったというのは私の完全な創作です。宗達の人生や人物像などが何もわかっていないということをプロローグ部分でしっかりと明示しておき、読者の方にはフィクションであると理解して楽しんでいただけるように物語を構築しています。

 歴史小説の面白さは、歴史上、周知されていることを踏まえて、解明されていないことを小説家がドラマチックに物語ること。ただ正確に描くことではなく、あらゆる逸脱や矛盾を乗り越えて、高揚感を味わえるのが小説の醍醐味でもあります。もう500年近くも前のことだし、誰にも本当のことはわからないぶん、私の想像の翼を思いっきり羽ばたかせて好きなように書いています。

 ——永徳と宗達という稀有な絵師たちが「洛中洛外図」を描くシーンは、二人の創作への熱意や作品との向き合い方が臨場感をもって触れられています。今までのマハさんの作品のなかでもとりわけ、アーティストの創作現場を丁寧に紡いでいる印象が受けました。

 印象派の作品を見て、どうやって画家が絵筆を走らせたか想像するよりも、500年も前の作品と対峙するのははるかに想像力を要しますね。余白を自分で埋めていくのはもっとも苦労したところでもありますが、きっと楽しみながら私が書いていたことが読者の方にも伝わると思います。
 永徳が描いた「洛中洛外図」は一国を賭けるほどの宝で、天下をとった織田信長が上杉謙信に贈り、謙信の上洛を抑止した過去があります。山形の上杉博物館に所蔵されている作品を観に行きましたが、アートが争いごとの抑止力になったということにとても興奮しましたね。

(「『風神雷神』インタビュー vol.2」につづく)

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