最新刊ノワール小説集『黒い絵』インタビューvol.2

2023.11.08
インタビュー

 圧倒的な存在感で、ただならぬ雰囲気を持つマハさん初のノワール小説集『黒い絵』。「泥の底に沈む真実を、一度攪拌して水面に浮かび上がらせたい」という挑戦でもあったという本書の著者インタビュー後編。

小説やアート、映画といった芸術作品のなかで、人間の業を見せられると面白い。

 ――最後から二作目に収録されている「オフィーリア」は、収録されている短編のなかで一番新しい作品ですね。

マハ……この短編小説が私のオフィシャルの最新作になります。「オフィーリア」は、芥川龍之介の「地獄変」を下敷きにして、「地獄変」と同じテーマで私が描くとどうなるか、芥川作品を私がトランスクリエーションした短編です。
 芥川が二十代で書いた「地獄変」を、私は二十代の学生のときに初めて読みましたが、私と同世代のときにはすでに天才だった芥川と、自分の未来のわからなさに悶絶して、私はこうはなれないと落ち込んだくらい衝撃を受けたんです。
「オフィーリア」を執筆する際に、短編の名手と言われている天才・芥川が、どう物語を立ち上げてどう終わらせるのか、「地獄変」をじっくり読み込みました。短編小説では起承転結をつけながら限られた文字数のなかで、読者をうまくトリップさせられるかという技巧が試されます。作家を続けていくうちに、短い枚数のなかでアイディアを完結させる難しさも、だんだんとわかってきました。
 私自身、過去の作家たちの名作に励まされながら小説を書くこともあるので、ぜひ読者のみなさんにも「地獄変」読んでいただきたいですね。「地獄変」と「オフィーリア」を比べられちゃうと泣きそうになりますが(笑)、それもいい刺激になると思います。

 ――「オフィーリア」では、絵に描かれている女が語り手となり、彼女が目にしてきたある画家をめぐる一連の出来事が生々しく語られていきます。終盤の画家に潜むアートへの狂気には、ぞくっとさせられました。

マハ……アートそのものにフォーカスするのではなく、人間模様や人間の奥深くにある業を描きましたが、小説やアート、映画といった芸術作品でそれらを見せられると、怖いもの見たさに訴えかけられて面白いんですよね。私の小説の読者は、私が書くものに共感を覚えてくださる方が多くて、私もどう共感していただけるかを意識しています。でも人間の業というのは、共感とはまったく違うところに位置するもの。この短編集では共感の体験はできないかもしれませんが、ミステリアスでダークな部分をアートの一部として捉えていただけたら、単純に物語として愉しんでいただけると思います。

純然たる小説のなかで起こる黒い事件を、文学として愉しんでいただくことに力点を置いた。

 ――装画に使われているアーティスト・加藤泉さんの絵と、「黒い絵」という本のタイトルが絶妙に相まって、ノワール小説の真骨頂という雰囲気がありますね。

マハ……先にサブタイトルの「Les tableaux noires」という言葉が思いついたんですが、タイトルに私が込めた思いは、「清濁併せ持つ画家の人生のなかで生まれたのがアートである」ということ。陽も陰もひっくるめた画家の情念みたいなものが、実はタブロー(絵)であると思うと、「黒い絵」というシンプルな言葉ですが、私の言いたいことを全部含んでいます。
 閉館間際のパリの美術館で、展示室に一人になって物故作家の絵と一対一になったとき、ぞくっとした経験があるんです。とうに亡くなっているアーティストの情念みたいなものが作品には篭っていて、時空を超えて見る者をひやっとさせる。私はそのぞくっとする瞬間がすごく好きです(笑)。今年の春にご縁があってフェルメール展に行ってきましたが、もちろんどれも素晴らしかったけれど、よく考えると怖い絵だなあと思う作品がいくつかありました。

 ――「黒い絵」という言葉からも、なにか怖いイメージが浮かびますが、もし「黒い絵」というタイトルの絵が実際にあったとしたら、どんな作品をマハさんは想像されますか?

マハ……たんに幽霊や化け物が描かれている絵ではなくて、人間の本質をメッセージの中心に据えて、この世の中の濁った部分を包み隠していないアート作品ですね。それがもし「白い絵」というタイトルだったとしても、胸に迫ってくるようなぞっとするものを持っていると思います。
 たとえばピカソの「ゲルニカ」は人類の狂気を描いた名作で、人の魂に揺さぶりをかけてきます。私は「ゲルニカ」を見たとき黒い稲妻が走ったような衝撃を受けて、彼がこの作品をなんのために描いたのかを知りたいと思いました。もし煌びやかで知的なアート作品だけを見ていたら、それは地球の半分側しか見ていないことになるかもしれません。

 ――本書でノワール小説解禁ということですが、読者の反応が楽しみですね。

マハ……ノワール色の強い『サロメ』や『異邦人』といった作品に、若い女性の根強いファンがいて、一定数の読者がノワール小説を楽しみにされていると感じていました。「このマハさん、めっちゃ黒いよ!」と、みなさんに勧めていただけるくらいのノワール小説を目指したので、新しい原田マハを受け止めてくれることを期待しています。
 今回、徹底的に黒い部分を見つめ直して、あらためてノワール小説を書いてみたら、私もとても面白かった。純然たる小説のなかで起こる黒い事件を、文学として愉しんでいただくことに力点を置いていた短編集なので、小説を読む純然たる愉しみを得ていただけたら嬉しいです。
 もちろん今までどおり幸せな気持ちになれる小説も書き続けていきますが、清濁があってこその生だという意識を持ちながら、これからもチャンスがあればノワール小説も書いていきたいです。

(構成/清水志保)

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