小説「望郷」インタビュー vol. 2

2022.05.10
インタビュー

「記録しておかなくてはならないなにかが絶対ある」とパリへの渡航を決めたマハさん。滞在中のパリから配信した18日間連続小説「望郷」で、マハさんが伝えたかったことを訊いたインタビュー第二回。

時々刻々と変わっていくウクライナ情勢を、息を殺して見守っている状況は、ある種の不気味な凪。

 ――ロシアのウクライナ侵攻の一報を聞いたとき、マハさんはどう思われましたか?

マハ……ヨーロッパに限らず、ミャンマーでは軍事政権がクーデターを起こしたり、ある集団が自分たちのルールで国をつくってしまったり、世界では非常に危うい状況が続いています。でもまさか21世紀にもなって、他国への侵攻という時代錯誤としか思えない出来事が起こるとは想像もしていませんでした。
 ウクライナのニュースをずっと追いかけて見ていますが、ソビエト連邦が崩壊したころから今回の侵攻に至るまで、とても複雑なプロセスがありました。他国がこういったアイディアもあるとプロポーズを出すこと自体、違和感があることですが、今年二月に各国がロシアと交渉した際に、戦争を思い留まらせるような強力な提案ができなかったことは残念です。

 ――マハさんは3月5日にパリに入られましたが、パリの様子はいかがでしたか?

マハ……日本と比較するとフランスでは、三回目のワクチン接種が進んでいて、オミクロン株は軽症者が多いことも影響していると思いますが、ようやくコロナの出口が見えてきているように感じました。観光客も少し戻ってきていて、コロナ前ほどではないですが、ルーヴル美術館の「モナ・リザ」の前には人だかりができていましたね。
 でも二年間味わった閉塞感から自由になった一方で、毎日、ニュースで繰り返しウクライナの戦闘の状況は伝えられていますし、破壊された家や傷だらけになった市民の姿を目にしています。時々刻々と変わっていくウクライナ情勢を、パリの人たちが息を殺して見守っている状況は、ある種の不気味な凪があって、そのギャップを私のなかでどうまとめたらいいのか苦しみました。

コロナや有事では、自分がどれだけ望んでも叶わないことがあると突きつけられた。

 ――「喝采」のときは執筆の前にタイトルが決めていたと聞きましたが、小説「望郷」はいかがでしたか?

マハ……「望郷」も先に小説のタイトルが思いつきましたね。誰だってこの地球上のどこかで生まれ育ち、故郷と呼べる場所がある。戦禍を逃れるために出国した500万人のウクライナの方に想いを馳せると、故郷を奪われるということはどういうことなんだろうと胸が痛くなります。
 人間には絶対に奪われてはいけないものが三つあって、それは「いのち、自由、故郷」。本来、この三つは誰にも奪われてはいけないですし、誰も奪えないものですが、今回のウクラナイ侵攻では他者が奪おうとしています。子どもでもわかることを、どうして大の大人が堂々とやることができるのか、理解に苦しみます。
 努力して学んだり、心を入れ替えたり、少なくとも自分の未来を自分で変えることができるのが、ふつうの人間のあり方ですよね。でもコロナや有事では、自分がどれだけ望んでも叶わないことがあると突きつけられた。こんなとき人はどうするのだろうと私のなかで大きな疑問が生まれました。

 ――「望郷」ではフランスのルイ・ヴィトン財団が開催した「モロゾフ・コレクション」展にもフォーカスされています。

マハ……モロゾフ・コレクションはロシアの実業家・モロゾフ兄弟が、19世紀末から20世紀にかけて収集したコレクションです。彼らが集めた作品にはフランスのアーティストのものも多く、彼らは購入した作品を故郷のロシアに持ち帰りました。兄のミハエルの死後、ロシア革命が起こり、弟のイワンはスイスに亡命し、モロゾフ・コレクションは国に没収されてしまいます。その後、イワンは一度も故郷に帰ることも、精魂込めて集めた作品を見ることもできないまま、望郷の思いを胸に、亡命先で亡くなりました。モロゾフ・コレクションには、フランス人アーティストの作品をロシア人が故郷に持ち帰り、最後には故郷の政府が国のものにしてしまったという歴史があるんです。

 ――パリで開催された本展覧会を「里帰り」と表現されたのは、そういった理由からなんですね。

マハ……モロゾフ・コレクションはモスクワとサンクトペテルブルクにある美術館に分散されていて、いままで一箇所に集められたことはありません。今回の「モロゾフ・コレクション」展では、コレクションのなかから200点が集結して、展覧会の組み立ても「里帰り」という形になっていました。
 モロゾフ・コレクションを見ていると、いったい作品は誰のものなのかという思いが浮かんできます。小説「望郷」では、誰も踏み躙られてはいけない「いのち、自由、故郷」と、作品は誰のものなのかという問いを、引き寄せて考えてみたかったんです。

小説「望郷」インタビューvol.3につづく。インタビュー・校正/清水志保

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