マハさん翻訳本『愛のぬけがら』インタビュー vol. 3

2022.04.07
インタビュー

 ムンクが遺したプライベイトな呟きと真実の叫びーー。マハさんが「ナイフのような鋭さがある」と評するムンクの言葉が、マハさんの翻訳でよりいっそう胸に迫る『愛のぬけがら』。翻訳を通してマハさんが感じたムンクという人物像も語ったインタビュー最終回。

悲しみから立ち上がり、芸術の力を持って、新しい時代のなかを闘っていく。

 ――本書のなかで、ムンクは「アートは人の力になる」と言っていますが、一方で「人間を憎む」という思いも綴っています。アートに関する手記にとどまらず、母国・ノルウェーへの思い、お金のことなど、際どい言葉も使って書かれていますね。

マハ……ムンクの人間性を知るために、彼の言葉の数々に触れられることは、非常に価値がありますが、ムンクはまさか百年後に自分の言葉が、日本で翻訳されて、日本人のムンクファンの方に読まれるとは思わなかったでしょうね(笑)。

 ――「アートワークには魂と意思がなければならない」とも遺していて、ムンクが絵に賭ける思いの強さも感じました。

マハ……19世紀末までは、基本的にクライアントから依頼を受けて描かれた絵がほとんどで、部屋に飾って明るく楽しくさせたり、肖像画として記念に残すというのが絵の機能でした。
 でも19世紀末の印象派の登場以降、新しい画家たちはそういった絵の機能を捨てて、「絵は芸術家の表現のアウトプットである」と、再定義しました。画家としての感情や思いに従って、表現や手法は自由でいい。吸血鬼であろうが、屍や悪魔であろうが、その時の画家の情念がそれを求めているのではあれば、描いてもいいだろうとムンクは考えていたんではないでしょうか。

 ――アートは自由なもので、モデルのプロポーションを測るような作業にはうんざりだと吐露しています。

マハ……ムンクはクライアントのために絵を描くこともありましたが、演出を加えて人形のように人を描くことはよしとしませんでした。生きていれば、苦しいことも悲しいことも、恐怖を覚えるようなこともある。生きているからこその人間の美しさ、醜さも、全てを描くんだという、彼の「サン・クルー宣言」も本書に入っています。
 ムンクは20代でパリに留学していて、自分の将来もまだまだ霧のなかにあったタイミングで、父親の死と直面しています。パリにいた彼は父親を看取れず、大きな後ろ盾を失い、非常にショックを受けていました。この「サン・クルー宣言」は、悲しみから立ち上がり、芸術の力を持って、新しい時代のなかを闘っていく、という芸術家としての彼自身の独立宣言のようにも思います。

芸術家の赤裸々な悩みや苦しみが、百年経ったいまも古びていない。

 ――本書にはムンクの人生観や「死」に対する彼の思考にも触れることができます。アルコール依存症など精神的な不調を抱えながら、ムンクは創作を続けていたんですね。

マハ……ムンクは肉親を早くに亡くしてもいて、メンタルヘルスの部分で悩み続けていた人です。でもそんな自身の精神状態や、第一次世界大戦があった不安定な社会情勢のなかでも、ムンクは自分が描きたいものを恐れずに描き続け、非常に勇気がありました。
 ムンク作品独特の、情念や静謐さ、おどろおどろしさを内包した絵は、彼の登場前にはあまり見られなかったことで、ムンクによって解き放たれた芸術上の束縛はたくさんあります。

 ――ムンクの原文とマハさんの翻訳に合わせて、彼の作品とポートレイトを見ると、ムンクの悩み、喜びがいっそう胸に迫ってきますね。

マハ……ムンクを知らない方も、百年前の芸術家の赤裸々な悩み、苦しみ、そして歩みをこの本から学べますし、いまの自分たちの状況に置き換えられることがたくさんあって、百年経ってもまったく古びていません。どんなにテクノロジーが進化しようが、人間の本当の根幹は変わっていなくて、人間として与えられているミッションはなんなのか、もう一度、見つめ直せると思います。
 戦争が起こったり、世の中がどう変化しようとも、アートは変わらず、すべての人間にイコールに与えられていることを再確認できる。『愛のぬけがら』は、いままさに読んでいただきたい一冊です。

(インタビュー構成/清水志保)

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