マハさん翻訳本『愛のぬけがら』インタビュー vol. 1

2022.03.18
インタビュー

 エドヴァルド・ムンクが生前に遺した手記やノートをまとめた英訳本『LIKE A GHOST I LEAVE YOU』。ムンクの作品を愛するマハさんが翻訳を担当した『愛のぬけがら』は、ムンク作品はもちろん、彼のポートレートも収録した豪華な一冊に仕上がっている。本書が誕生するまでの秘話を、マハさんが語るインタビュー第一回。

ムンクがどういう土地で生まれ、どんな文化のなかで育ったのか、確認できた旅。

 ――本書の序章を読むと、マハさんは中学生のころからムンクの作品に興味を持たれていたことが書かれていますね。

マハ……当時からピカソもルソーも、マティスも意識していましたが、ムンクの《マドンナ》という作品を展覧会で実際に観てから、彼もずっと気になるアーティストの一人でした。いつか彼が生まれ育ったノルウェーのオスローに行ってみたいと思っていましたが、2017年に北欧を旅する機会を得て、念願が叶ってやっと行くことができました。

 ――初めて訪れたオスローの街は、どんな印象でしたか?

マハさん……ムンクが活躍した19世紀末から20世紀にかけては、新しい芸術が目覚めた時期で、フランス・パリを震源地にして、新しい文化がまわりに伝播していました。そんななか、オスローは地理的にパリから遠い、ということをまず肌で感じましたね。
 気候風土が芸術家に与える影響はとても大きくて、小説を書くときにはアーティストの足跡を辿る取材をしますが、この旅で初めてムンクの足跡的なものを見ることができました。ムンクがどういう気候風土の土地で生まれ、どんな文化のなかで育ったのか、確認できたのがとてもよかったです。

 ――北欧というと、森や草木をモチーフにしたポップな雑貨や、温かみのあるインテリアが有名ですが、北欧出身の画家が描く絵は、どういった特徴がありますか?

マハ……北欧のアーティストの作品は暗い印象があって、ムンクのオリジナル作品も、印象派に見られる弾けるような明るさはなく、全体的にトーンが暗いんですよね。寒い冬の時期が長い北欧では、太陽の光の加減で、ふだん目に見えている風景自体が、南の国ほど明るくはありません。街を歩いていても、色彩豊かとは言えず、花一輪ですら南国のような鮮やかさはないんです。

偶然、ミュージアムショップで見つけた『LIKE A GHOST I LEAVE YOU』という本。

 ――ムンクと言えば、やはり耳を塞ぎ、苦しそうな表情の人が描かれた《叫び》をまずイメージします。

マハ……《叫び》の背景に描かれている血液の流れのような、どろどろとした赤い空をオスローで見たんです。ノルウェーでは、夏、太陽が水平に移動するため夜が来ない白夜の日が続きます。でも夏が過ぎてしまうと、あっという間に夜になってしまうような場所。
 私がオスローに行った8月上旬は、23時を過ぎてようやく日が沈み、だんだんと夜に吸い込まれていくようでした。いつまでも明るかった空が、少しずつどす黒くなっていくんです。「ああー、これなんだ」となぜムンクが《叫び》を描くことができたのか、オスローの夜を体験してよくわかりました。
 こんな環境のもとで、彼は物を見て、誰かを愛し、創作をしていた。巡る季節のなかで、いつも夜に取り憑かれてしまうような感覚を、ムンクは持つようになったと思いました。彼は意識していなかったかもしれませんが、最終的にはその感覚が彼自身の生き方、彼の作品にも現れているように感じます。

 ――ムンクの遺言をもとに寄付された作品の数々を、オスローのムンク美術館で観ることができるんですよね。

マハさん……私のオスロー滞在の目的はただひとつ、ムンク美術館に行くことで、まさに美術館が旅のディスティネーションになりましたね。たくさんのムンクの作品を観たあとに、ミュージアムショップに立ち寄ったんですが、偶然、そこで『LIKE A GHOST I LEAVE YOU』というムンクの言葉を収録した英語の本を見つけました。
 私はネイティブではないので、ぱっと英語の言葉の意味が飛び込んできたわけではないんですが、「GHOST」と「I LEAVE YOU」という言葉が持つ、ある種のネガティブ感がいいなあと思いました。薄暗さ、冷たさのなかにある美しさを感じられて、このタイトルの言葉をムンクが残していたのなら、とてもムンクらしい。タイトルに惹かれて、読んでみようと本を買ったんです。

『愛のぬけがら』インタビュー vol.2につづく。/インタビュー構成・清水志保

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