最新刊『美しき愚かものたちのタブロー』インタビュー vol.3

2019.06.13
インタビュー

「Bon travail !」という印象的な言葉が幾度も登場する『美しき愚かものたちのタブロー』には、素晴らしい仕事をした男たちのお仕事小説という側面もあると語るマハさん。しかし、本書にはそのひと言では括りきれない、いまを生きる私たちへのメッセージが込められていました。

物語全体に滲み出る「平和の象徴としてのアート、平和の器としての美術館」という意味合い。

 ——美術品を集めるために、海外へ渡航する機会が増えた松方幸次郎は、実は、それとは別に日本海軍から密命を受けていたというくだりがあります。一気にサスペンス小説のような展開も見せる本書は、アート小説、お仕事小説以外のいろいろな読み方ができる作品ですね。

 国際人としての感覚を持ち合わせていた松方は、きっと日本がどれだけ無謀な戦争を始めようとしているのか、危機感を持っていたと思います。それでも造船所の社長という立場上、戦艦や戦闘機の製造に関わることは大きなビジネスのひとつでもありました。
 ただ、いち個人としての松方の信念にあったものは、「美術品の一大コレクションを築き、日本の若者のために本物のアートに触れられる美術館をつくる」という、職務とはまったく真逆のもの。松方の運命はつねに「戦争」と「平和」という相反するものに挟まれていました。

表紙に使われているのは、いせひでこさんによる連載最終回の挿絵。感動のワンシーンが描かれた表紙を、本書の読後にぜひ眺めていただきたい。

 ——長期間、家を空けることが多かった松方は、いつか妻の好子を連れて、美術館巡りをするためだけに欧州旅行をしたいと思っていました。好子は松方のよき理解者で、日本の青少年、婦女子のための美術館の完成を待ち焦がれていました。
 日置とともに「松方コレクション」を守り続けた妻のジェルメンヌもまた、「飛行機ではなくタブローを。戦争ではなく平和を」と語り、戦争のない世の中を望んでいる。使命感のある熱い男たちの物語のなかに、平和を求める女性たちの静かな祈りを、この小説で感じることができます。


 政治的な交渉や多額のお金を動かすビジネスに関わる女性が、当時は少なかったという時代背景もあって、作中に出てくるのは男性ばかりですが、平和な世の中の象徴として、好子やジェルメンヌを登場させています。「平和の象徴としてのアート、平和の器としての美術館」という意味合いが、女性たちが平和を望む姿から物語全体に滲み出ていると思います。

何千年もの間、人生の中に美術品がある豊かさを、私たちは忘れたことがない。

 ——膨大な美術品を隠蔽(いんぺい)していることが外部に知れないように、日置は疎開先のアボンダンでひっそりと生活を送っていましたが、ある日、フランス人医師にゴッホの「アルルの寝室」を見られてしまいます。素晴らしいアート作品だとひと目でわかった医師は、何も問わずに「どうかタブローを守り通してくれ」と日置に告げて立ち去りました。

 当時、ナチスドイツによる美術品の略奪行為が繰り返されていました。人々にとっての魂や精神の拠り所である美術品や文化財を、略奪し破壊する行為は、魂に対する戦争です。
 先日、パリのノートルダム寺院が火災で一部、焼失しましたが、何百年もの間、人々の手で残され、変わらぬ姿で存在していたノートルダム寺院が燃えたことに、多くの人々が傷き、涙しました。あの光景からもわかるように、すごく引いた目で見ると、何千年もの間、人生の中に美術品や文化財があるという豊かさを、私たちは忘れたことがありません。

 ——いま国立西洋美術館があることは、私たちにとってごく普通のことになっていますが、それが普通になったのは、強い志を持って後世に残そうとしたひとたちの素晴らしい仕事があったからこそ。本書を読むと、いつでも美術品を鑑賞できることの有り難さを改めて感じました。

国立西洋美術館開館60周年記念・松方コレクション展では、長い間行方不明になっていたモネ作「睡蓮 柳の反映」が初公開されている。必見!(画像:©国立西洋美術館)

 大原美術館の館長である高階秀爾先生と対談した際に、高階先生が「アートというのは歴史の証言者だ」と話されました。アートというのは、過去にアーティストが作ったものが、時を超えて当時の姿のまま今も残っているタイムカプセルのようなもの。私たち人間の命はいずれ終わりを迎える運命ですが、アートは消えることなく、次の世代に受け継がれていく。私たちには、かつて確かに存在したアーティストの作品、そして素晴らしい美術館を、次の世代に残し守っていくというミッションがあり、私もまたそのミッションを担う一人です。
 国立西洋美術館では「松方コレクション展」が始まりました。ぜひ松方たちが後世へ繋いだアート作品に触れていただきたいですし、もしこの小説を読まれたみなさんに何かしらの気づきがあったなら、この作品を書き上げてよかったと心から思えます。(了)

(インタビュー・構成/清水志保)

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