最新刊『美しき愚かものたちのタブロー』インタビュー vol.1

2019.05.31
インタビュー

 今年、設立60周年を迎える国立西洋美術館。その礎となった「松方コレクション」の数奇な運命と奇跡を描いた『美しき愚かものたちのタブロー』が発売になりました。早くも感動作と話題になっている本書の執筆秘話をマハさんが語ります。

私のなかの大きな意義を達成するため、どうしても5月中に刊行したかった。

 ——最新刊『美しき愚かものたちのタブロー』は、「松方コレクション」という国立西洋美術館の設立に繋がる一大コレクションを題材に選ばれていますが、なにかきっかけがあったのでしょうか?

 三年ほど前に『たゆたえども沈まず』の取材で国立西洋美術館の馬渕明子館長にアドバイスをいただく機会があり、そこで2019年に国立西洋美術館が設立60周年を迎えるため、「松方コレクション」の全容を解明する大規模な調査をしていることを伺いました。以前から松方コレクションのことを知ってはいましたが、詳しく調べたことはなかったんです。なぜこの素晴らしい美術館がいまここにあるのか、自分なりに掘り下げてみたかった。設立60周年に合わせて「松方コレクション」を巡る小説を上梓することで、私から国立西洋美術館への餞(はなむけ)の一冊にしたい気持ちがありました。

 ——この四月に連載を終えたばかりでしたが、単行本化がとても早かったのはそのためなのですね。

 なんとしても単行本を5月中に出せるように逆算してスケジュールを組み立てて、週刊文春での連載を40回、延びても42回と決め、連載の終了からすぐに単行本化の準備を進めました。本の刊行が6月10日(国立西洋美術館が開館したのは1959年6月10日)を過ぎてしまったら、私のなかの大きな意義が達成できなくなってしまう。私自身に鞭打つだけでなく、編集者やいろいろな方々にサポートしていただき、ようやくスケジュール通り刊行にこぎつけたので、まさに感無量です。

 ——原田さんの念願が叶い、いよいよ本書が書店に並びましたが、単行本の佇まいは爽やかな初夏の風を思わせるような美しい一冊です。

 装画を描き下ろしてくださったいせひでこさんは、私が大好きな絵本作家で、フランスを舞台にした作品も発表されています。いせさんはゴッホの研究家としての一面もある方で、『たゆたえども沈まず』の執筆の時にはいせさんが翻訳に関わったゴッホの弟・テオの研究本を読ませていただきました。ご自身もタブローの創り手でいらっしゃるいせさんの手によって、『美しき愚かものたちのタブロー』は素晴らしい一冊に仕上がりました。
 実は、週刊文春の連載の挿絵をご担当いただけないかといせさんに打診したのは、連載がスタートする数週間前というぎりぎりのタイミングだったんです。その時できていた連載の第一話をお渡しして、いせさんに作品の内容を納得していただいたところでご快諾をいただけたのは、ほんとうに嬉しかったです。

主要人物が決まったことで、三つのパートをどうドラマチックに繋げていくかが見えてきた。

 ——その第一話は美術史家の田代雄一がオランジュリー美術館にあるクロード・モネの「睡蓮」前で、その美しさに胸を打たれるシーンから始まります。田代は「松方コレクション」返還のためにフランス政府との交渉役を担う重要な人物で、この作品のストーリーテラーでもあります。

 田代は架空の人物なのですが、田代の経歴などは、私がとても尊敬している日本における西洋美術史家の草分け、矢代幸雄先生の業績と経歴をベースにさせていただいています。実際、矢代先生はパリで名作を購入する松方にアドバイスをしていたという事実がありました。矢代先生やご遺族に失礼がないように気を配りながらも、フィクションである田代を作中で自由に動かして、史実とは異なる思い切った行動もとらせています。

パリの華やかさと対照的な、のどかな田舎町・アボンダンの風景。「松方コレクション」とともにこの地に移り住んだ日置釭三郎へ思いを馳せながら、原田さんは丁寧なリサーチを続けた。

 ——マハさんはどの作品でも執筆にあたって、画家の足跡を追った取材をされることが多いですが、やはりこの作品でも取材を重ねられたのでしょうか?

 松方が名画の数々を集め美術館の設立を夢見ていたこと、戦時中に松方の部下だった日置釭三郎が「松方コレクション」を守ったこと、そして最終的に「松方コレクション」が日本へ戻ってくる、という一連の出来事はすべて史実であり、小説全体の流れを作ることはわかっていたので、まず昨年1月にパリ郊外の田舎町・アボンダンを集中的に取材しました。アボンダンは日置が「松方コレクション」とともに疎開していた場所で、当時、彼が住んでいた小さな農家にいま現在住む方にお会いし、資料などを見せていただきました。日仏の文化交流を詳しく研究されている美術史家や、戦前に松方コレクションが預けられていたロダン美術館の関係者の方々にも、当時の日本とフランスの様子を伺ったり、コレクションの保管の状況を尋ねたりして、私なりのリサーチをしていきましたね。

 ——巻末の参考文献を見てみると、戦前から戦後にかけた政治情勢や近代絵画史、海外からみた当時の日本のあり方なども深く調べられているのがわかります。

 今まで松方幸次郎や「松方コレクション」については、たくさんの研究者が地道な研究と調査をされてきました。そこを多いに活用させていただきながら、自分でもいろいろと調べていくなかで、政治生命をかけてサンフランシスコ条約を締結した吉田茂が、実は「松方コレクション」の返還にも深く関わっていたことにたどり着きました。
 執筆前に、物語の大きな構成として、三つのパートを考えていました。最初は1953年の日仏間でコレクションの返還交渉が始まる緊張感あるパート、次に1921年に松方が名作の数々と出会うパート、最後に西洋美術館が設立された1959年のパート。吉田茂、田代雄一、日置釭三郎、そして「松方コレクション」の最重要人物である松方幸次郎。この四人の男たちを物語の決定的なキャラクターに据えたことで、この三つのパートをどうドラマチックに繋げていくかが見えてきた気がします。

(インタビュー・構成/清水志保)

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