『キネマの神様 ディレクターズ・カット』インタビュー vol.2

2021.04.16
インタビュー

「『キネマの神様』を原作とした脚本を原作にして、小説『キネマの神様』を書きませんか?」と依頼を受けたマハさん。山田洋次監督の創作のプロセスを残したいという思いも込めた『キネマの神様 ディレクターズ・カット』の執筆にあたり、マハさんからあるリクエストがありました。

レジェンドな映画人から、当時の映画の制作現場をレクチャーしてもらう贅沢な一日映画大学。

 ——映画「キネマの神様」では、父・ゴウが若い頃、映画の助監督を務めています。いつか自分の映画を撮りたいと夢見るゴウは、情熱的で生き生きとしていて、撮影現場のシーンからは当時の映画界の活気も感じられますね。

マハ……長年活躍されている山田監督が経験された昔の映画制作の様子が、若き日のゴウの姿と重ねて描かれているように思えますよね。私は映画の制作現場の知識もなければ、実際に現場に立ったこともなく、いろいろな努力や苦労があったという想像しかできなかったので、ノベライズの前提条件として、松竹の映画人の方に取材をさせていただきたいとお伝えしました。
 どんな小説を書くときでも私は取材主義で、いまはインターネットで情報が拾える便利な時代であっても、それだけではカバーできないことがたくさんある。90%のフィクションを構築するために、屋台骨になる10%の事実をしっかり組んでおきたくて、松竹の方にお願いしたところ、取材をご快諾いただきました。

 ——執筆の依頼は昨夏ということでしたが、当時の制作現場を取材してから執筆するとなると、ハードなスケジュールですね。

マハ……個別にお話を伺うのは難しかったので、超レジェンドな映画人に集まっていただき、生徒は私ひとりだけという「松竹一日映画大学」と称した贅沢な授業をしていただきました。映画の歴史から始まって、「美術とは?」「脚本開発とは?」「カメラワークとは?」「広報宣伝とは?」と、ほんとうに多岐にわたる内容を一日でやりきりました(笑)。山田監督がメインでお話してくださって、いまは現役を引退されている懐かしい山田組のみなさんにもお時間をいただき、最後はまるで同窓会のようでしたね。
 当時、活躍されていた方たちのお話に触れ、すごく人間臭い現場だったことや、松竹という映画会社が、100年間どうやって映画を作ってきたのかというエッセンシャルな部分がわかった。取材をしてから脚本を読むと、そんなことも見え隠れてしている映画という点でも面白く、小説で書いていてもやっぱり面白かったですね。

原作のキャラクター像を残しながら、映像から伝わってくる心理描写を、言葉で埋めていく。

 ——先日(3月24日)、映画の完成報告会見があったばかりで、実際にマハさんが小説に取りかかれた昨年末は、まだ映画は完成していないタイミングです。なにか映像はご覧になられたのでしょうか?

マハ……七割くらい編集されているラッシュを一度観させていただきました。脚本では書かれていない心理描写が、映像で見ると俳優のみなさんの演技で表現されていて、小説を書いていると自然とキャストの方の顔が浮かんでくる。今までは小説ありきで、この人に演じてもらいたいと書き上がってから妄想することはいくらでもありましたが、脚本をベースにすると自然と役者さんのイメージが出てくるもので、これが当て書きというものなのかなと思いました。

 ——映画では現在のゴウ、娘の歩や妻の淑子の物語と、過去のゴウ、友人のテラシンたちとの出来事が、テンポよく何度も入れ替わりながら物語が進んでいきますが、「ディレクターズ・カット」では現在、過去、現在と大きく三つの構成で展開されていますね。

マハ……映画ではシーンが変わることで、時間が推移したことを簡単に表現できますが、小説では「何年何月何日どこそこ」とある程度の設定を読者に伝えてから、場面を持ってきたほうがしっくりきます。娘の歩が置かれている現状も、劇中では母親の淑子との短い会話だけでばしっと伝えられますが、小説ではまず歩の状況を提示してから、読者を物語に引き込んでいくようにしました。
 ビジュアルのない小説と違い、映像や映画はすべて具象で、秒単位でカウントして余韻を作ったり、編集の見せ方で、登場人物の感情を表現できる。原作のキャラクター像を残しながら、映像から伝わってくる心理描写を、言葉で埋めていくのは難しくもあり、楽しい作業でした。

『キネマの神様 ディレクターズ・カット』インタビュー vol.3につづく。インタビュー・構成/清水志保)

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