文庫『ロマンシエ』刊行、特別インタビュー!

2019.04.25
インタビュー

 芸術の都・パリを舞台に、乙女な美男子が恋に夢に全力疾走するラブコメディ『ロマンシエ』。単行本の刊行当時には、小説とリンクした展覧会「君が叫んだこの場所こそが、ほんとの世界の真ん中なのだ。パリ・リトグラフ工房 idemから ——現代アーティスト20人の叫びと囁き」も開催され、話題になりました。文庫『ロマンシエ』の刊行を記念して、マハさん自らが本書に込めた思いを語ります。

物事の本質や一番大切なことは、必ずしも見えやすいものではない

 ——2015年に単行本が発売されてから三年が経ち、満を持して文庫化された『ロマンシエ』ですが、改めてご自身の作品と向き合われて、どう感じられましたか? 

 もう大爆笑のひと言に尽きますね。お笑いのような文体は私が挑戦したかったことのひとつだったので、『ロマンシエ』を書くことは私にとっても格段と楽しいひとときでしたし、主人公と一緒に自分自身も成長していくような感覚を持てた忘れられない作品です。本当に書いてよかったと思っています。
 ただ、私の作品のなかでも異色のラブコメディだったので、驚かれた読者の方も多かったようで、「最初は美智之輔の乙女な語り口についていけなかったけれど、途中からそれが中毒になってどんどん作品世界に引き込まれた」という声もいただきました。平成生まれの主人公・美智之輔があまりにも昭和の雰囲気を炸裂しているので、文庫の冒頭に作者からの注意書きを入れています。これを頭に入れてから読み進めると、美智之輔を通してどこかノスタルジックな表現や笑いを楽しんでいただけると思います。まさに平成最後の年に、手にとっていただくのにぴったりな一冊になりましたね。
 たとえば、モネやピカソの物語を書いているときは彼らに肉薄はしつつも、少し離れたところから重要人物を見ている感じで、私がその人自身になりきるということはありません。 でも『ロマンシエ』では書いているうちに、年齢も性別も違う私と美智之輔が、完全に一体化するような感覚がありました。作中でドライブ感のある展開がありますが、その場面では私も美智之輔と一緒に走り抜けているようで楽しかった。長距離マラソンをしたことはありませんが、42,195kmを走りきったあとの爽快感はこんな感じかなあと思うほどでした。
 この作品の隠れたテーマは、「本当に大切なものはすぐ近くにあっても気づかないことが多くて、辛い経験や体験をしながらも探し続けた最後に見つけられる」ということ。物事の本質や一番大切なことは、必ずしも見えやすいものではないと思うんです。美智之輔も彼にとっての大切なものをパリで探し続けていますが、読者の方にも美智之輔、そして私と一緒に探し続けていただきたいです。

 ——美智之輔とダブルヒロインといってもいい存在のカリスマ小説家・羽生光晴という女性が登場します。「ロマンシエ=小説家」という作品タイトルと相まって、光晴と原田さんを重ねて読まれる方もいらっしゃると思いますが、そうではないんですね。

 男性か女性かわからないペンネームで、ゴーストライターが書いているという噂もあるようなミステリアスな人気小説家が、パリの片隅で小説とは関係のないアートの世界に身を置いている。そんな作家がいたら面白いだろうというところから光晴を造形しています。
 美智之輔が私自身だとすると、守るべきクリエイターの権化としての存在が光晴。素晴らしいクリエーションができるひとは、世界中のどんな片隅にいてもきっと輝きを放っていて、ぜったいにその輝きは消え失せません。光晴は創作の苦しみや痛みを覚え、もうこれ以上できないと悩んでいますが、彼女を応援することで、いま活躍しているクリエイターに限らず、悩んだり躓いたり、なかなか外に出ていけなくて苦しんでいるクリエイター、すべての方々にエールを送りたい気持ちでいます。

 ——美智之輔は同級生の高瀬くんに思いを告げられず、光晴もまた切ない片思いをしていました。クリエイターとしても傷ついていた二人が、ドーヴィルの砂浜で思いを寄せ合うワンシーンは、とても美しかったです。

フランス・ドーヴィルの取材中に、著者が目にした二重の虹。まるで美智之輔と光晴のワンシーンのような奇跡的な一枚。

 性別も年齢も超え、人間を愛することを知った二人が結びつくこのシーンは、大きな愛情がすべてを包み込んでいく象徴として自然と出てきました。人間同士としての愛情、クリエイター同士としての尊敬、もっと言うと人類とクリエーションが結びついた根源的な強い絆……、二人の姿からそのことが微かにでも伝わるといいです。
 クリエーションというのは人類だけに許されたいわゆる「人間の証明」でもあると思うんですよね。この小説は人間の証明でもあるクリエーションの力を信じた人たちの物語でもあって、読者の方にはぜひクリエーションの輝きをこの本の奥底で見つけていただけたら嬉しいです。

この世界がどれほど素晴らしいかを見せるために、私の小説はある。

 ——原田さんはアートを求めて世界中を旅され、美術館やギャラリーといったアートが主人公にある場所を舞台に、多くの小説を発表されてきました。そんな原田さんから見た『ロマンシエ』で描かれたリトグラフ工房「idem」の魅力はどこにありますか?

 やはり「idem」が百年以上も前から今もなお実在し、世界中のアーティストが作品の制作をしているところですね。デジタルに触れる機会が多い現代にあって、「idem」では紙の風合いや、たくさんの職人が何日もかけて作るアートの素晴らしさを改めて知ることができる。『ロマンシエ』には、リトグラフというフランス独特の素晴らしいアート文化が、いつまでも廃れずに次の世代に受け継がれてほしいという願いも込めています。
 私は今まで、実在の場所やアーティスト作品を、フィクションである小説に落とし込む試みを多くやってきました。現実世界をひととき忘れて、絵空事である小説を存分に楽しんでいただくだけでは、私はちょっとつまらない。本を閉じたら現実の世界に飛び出して、たくさんの素晴らしいものと出合い、呼吸して生きていただきたい。私の小説はこの世界がどれほど素晴らしいかを見せるためのものでありたいですし、よき入り口であり出口でありたいんです。そしてフィクションの部分が現実の世界とリンクしていると何が起きるのか、ということへの興味もあります。

 ——まさにその言葉どおり、『ロマンシエ』では本邦初の試みとして、小説内に登場する展覧会が実際に開催されました。文庫には展覧会の図録に収録されていた掌編も再録され、「ロマンシエ」コンプリート版といった装いです。

2013年に初めてidemを訪れ、その場の磁力にすっかり惹きつけられて、気がつくとここを舞台に小説を書くことになっていた。

 東京ステーションギャラリーの冨田章館長が特別寄稿してくださり、展覧会開催までの舞台裏が紐解かれていますが、冨田館長がつけた寄稿文のタイトルが「原田マハという嵐」(笑)。これを読むと本当に展覧会を実現できたんだと当時のことを懐かしく思い出されましたし、ライターの瀧井朝世さんが『ロマンシエ』の本質をつく解説を書いてくださっています。豪華ダブルキャストによる解説が載ったことで、さらに特別な文庫になりました。
 きっとこの小説を最後まで読まれると、美智之輔を応援したくなると思います。でも美智之輔を応援することは、原田マハという作家を応援することでもあるし、読者であるあなた自身を応援することに他ならない。美智之輔を私自身、そして読者のみなさんであると思いながら書いたので、どうか美智之輔と精いっぱい、パリの中を冒険してください。

(インタビュー・構成/清水志保)

SHARE ON

さらに記事をよむ

TOPICS 一覧に戻る