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2011.03.18 Friday
被災地・いわきからのメール
被災地・いわきからのメール
ホームページに、読者の方から救援を求めるメールをいただきました。
以下、公表します。みんなの力をいわきへ、福島へ、東北へ!
-――――――――――――――――――――――――――――――
震度6弱だった福島県いわき市に住んでいます。
幸いわが家は家族も家屋も無事でしたが、
すぐ近くの町にまで津波は押し寄せ、家や人々を攫っていきました。
市北部では大きな火災も発生し、多くの方が亡くなりました。
そして強い余震もおさまらないまま、今度は福島原発問題。
いわき市は国の避難勧告の対象にはなっておらず
(北部の僅かな地域だけが屋内退避区域)
市街地での放射能測定値も
まったく健康に影響はない状態です!!!
なのに、悲観的な憶測と、不確かな情報が錯綜して
「本当はいわき市も危ないんじゃないか」
「数値は低くても、長期的に見れば危ない」などというクチコミが広がり
市民がどんどん市外・県外へ自主避難をしています。
知り合いが次々といわきを離れていくのは
すごく衝撃的だしさびしく心細いです。
そしてその風評のせいで
物資や燃料を輸送する人も、いわきを素通りしてしまいます!!!
実際一昨日の晩、いわきに向けて、
55台出発したはずの燃料を積んだタンクローリーが
実際に到着したのはわずか10台、
残る45台は事業者なり運転手本人の判断で、
引き返したかどっか違うところに行っちゃったようです。
現在いわきには緊急車両や給水車、
物資を避難所に運ぶ車にすら燃料が行き渡りません。
避難しているわけでもなく、健康も害していない人たちも
燃料がないばかりに出勤できずに家にいたり
仕入れに向かえずお店が開けなかったりしているという
悪循環に陥っています。
もちろん「ホントは自主避難したいけれど、
ガソリンがないから出発できない」という人も沢山います。
マスコミも被爆を恐れてなのか
原発問題勃発後はまったくいわきに取材に訪れず
よってこの窮状が世間に公表されません。
(報道の大半は宮城や岩手、県内では退避勧告区域だけですよね)
先日せっかく命からがら避難所に辿り着いた方々が
14名も命を落とすという出来事があり
ようやく少し注目を浴びたという皮肉な結果もありました。
私は医療機関に勤めています。
正直放射能汚染については不安もいっぱいですが
なんとか踏みとどまって働いています。
しかしもうじきガソリンが底をつきそうなので
来週になっても手に入らなかったら
職場に寝泊りするしかなくなります。
医療機関は使命感があって開けているところもまだまだありますが
調剤薬局の大半がとじられていて
「医師の処方がなくても、貰っている薬がわかるものがあれば
直接薬局で購入することができる」という国からの通達も
なんの役にも立たず、「避難してきたけど薬がない」
という方も沢山いらっしゃいます。
また、医薬品を納入する会社が自宅待機となり
在庫補給が出来ないため
うちもある薬がなくなったらもうどうすることもできません。
どうかお願いです。
いわきのこの窮状を多くのマスコミや行政、
知人友人著名人、
あらゆる情報ツールを使って広めていただけないでしょうか。
他にも甚大な被害を受けた地域が沢山あることは重々承知でのお願いです。
まずはいわき市に目を向けていただきたいのです。
特に著名な方からの発信にはマスコミや世間も注目し
多大な影響力が期待できます。
どうかどうか、よろしくお願いします。
2011.03.14 Monday
とある被災者へのメール
とある被災者へのメール 2011.03.14
K.Kさま
メールありがとうございます。まずはご無事を喜びたいと思います。
未曾有の災害に、被災地から遠く離れた東京に住む私たちも、ただただうろたえ、どうしたらいいのかと沈痛な思いでおりました。
けれど被災地で生き抜こうという覚悟をされている方々のためにも、私たちは冷静にふるまい、これからどうしたらいいのか、一緒に考えていきたいと切に願っています。
私の住む東京の多摩地区では今日から日に6時間、計画停電が実施される予定です。
もちろん不便ですが、少しでも被災地の方々と心をひとつにするため、電気のない昼と夜を心静かに過ごそうと思っています。
私たち東京の人間が使っている電力が宮城で作られている、ということに感動し、いままでそれに気づかずに平然と電気を使っていたことを痛切に反省しています。
今回の災害でわかったことがあります。
私たちは、つながっている。私たち日本人の心はひとつです。
どうかこのさきもご無事で、たくましく生き抜いてください。
こんなとき、物書きの力なんてささいなものです。
そうわかっていても、私はあなたのために、皆さんのために、これからも書き抜きます。
原田マハ
2011.03.01 Tuesday
神戸コレクションへ行ってきた。

(会場のワールド記念ホール)
神戸は、私にとって特別な街。
岡山で過ごした中高生時代に、エキゾチックな雰囲気に憧れ、なんとかあの街に住みたいものだと恋い焦がれた。念願かなって神戸近郊にある大学、関西学院大学に入学したときは、天にも昇る気分だった。苦学生だった私は、友人たちのように何不自由ない学生生活を送ることはままならなかったが、それでも「神戸で暮らす」ということがどれほど私の人生に輝きをもたらしてくれたか、筆舌に尽くしがたい。このあたりの思いの丈は拙著の短編「おいしい水」(岩波書店/08年)に全部つぎ込んだので、興味のある方はお読みいただければと思う。
神戸は、私の学生時代から、いや、それよりずっと前から、トレンド発信をするおしゃれのキーステーションとしての役割を担っていた。いまも神戸を歩いていると、はっとするようなコーディネイトのおしゃれな女子とすれ違うことがある。昔もいまもおしゃれリーダーが生息する街なのだ。
そんな神戸で「神戸コレクション」なるファッションショーが開催される。そしてそのランウェイに、なんと映画「ランウェイ☆ビート」のキャストがゲストモデルとして登場すると聞き、これは見に行かねばなるまい!と勇んで飛んでいった。
場所はポートアイランドのワールド記念ホール。JR三宮駅からポートライナーに乗っていく。神戸時代にルームシェアをしていた旧友、つんちゃんを誘って、20年ぶりくらいにポートライナーに乗った。いやあ、なつかしい。思い出話に花が咲く。

(ポートライナーで三宮へ帰り道。)
現在、大阪に住んでいるつんちゃんは、小物雑貨の撮影スタイリストをしている。家族はギリシャリクガメの「まるちー」。すばらしく居心地のいい彼女の家は、私の大阪書斎として、ときおり長逗留させてもらっている。彼女もまた、大阪を代表するおしゃれ40女子なんです。
ポートライナーの中はすでにおしゃれ濃度が異様に高く、寒さに負けずミニスカ&生足女子たちがおしゃれ話に花を咲かせている。会場に近づくにつれ、おしゃれ濃度が1割ずつ増していき、会場に到着するやもう全開に! おしゃれおしゃれおしゃれおしゃれ。右を向いてもおしゃれ、左を向いてもおしゃれ。おしゃれな空気を吸い込むだけでなんだか自分もおしゃれに思えてくる。
それにしてもやはり関西女子のおしゃれ度は半端じゃない。こんなにおしゃれなのに彼女たちは夜になると豹変するのだ。どんなに匂いがしみ込もうとも、果敢にお好み焼き屋に繰り出すんだから。「お好みのニオイがこわくておしゃれができるか!」って感じで。
会場内部はンもうおしゃれ共和国おしゃれ県おしゃれ町おしゃれ一丁目という感じで、おしゃれじゃない人は入国不可なムード。私たちがこの中にいてもいいのかしら…と、つんちゃんとふたりでおどおど。それにしても女の子たちの楽しそうなこと!生き生きと輝いて、誰もがおしゃれを楽しんでいる。ほんとうにすてきだ。

(神戸コレクションの会場内。熱気!)
ショーが始まり、次々とさまざまなブランドの春夏アイテムを装った人気モデルさんたちが登場。さっそうとランウェイを歩くさまは、さすがに決まってる。それにしても足細い、長い。肉ない。美しい。うらやましい……。
中盤で、いよいよ待ちに待った「ランウェイ☆ビート」のパートとなった。
映画の予告編がステージ中央の画面に現れて、場内騒然。トップバッターで瀬戸康史君が登場すると場内は一気に色めき立つ。ちょっとパンクなデザインの服に身を包み、パンクなメイクもぞくっとくるなまめかしさ。うわっ、ビートが本物のランウェイを歩いてる!と、会場内で一番びっくりしていたのは、きっと私だろうな。
続いてキュートな桜庭ななみちゃん、びしっとウォーキングもキメた桐谷美怜ちゃん、カワかっこいいIMALUちゃん、そしてやっぱりぞくぞくするほどキメまくった田中圭君。メイとミキティとアンナとワンダが、本物のランウェイを歩くのを見て、「いやあ、この話、書いてよかった…」とひとり悦に入っていたのは、やっぱり私だけだろう。我が子の晴れ姿に胸をつまらせる母の気分だ……。

驚いたのはその後。サプライズライブで登場したのは、なんとファンキーモンキーベイビーズ。ステージの暗闇に、「FUNKY MONKY BABYS」と書かれたDJブースが登場した瞬間、会場は再び騒然。「まさか、ファンモン?!」とおしゃれ女子たちの興奮が一気にヒートアップ。間髪置かずにファンモンメンバーが飛び出した!
「場違いなのはわかってます。でも一曲歌わせてください。『ランウェイ☆ビート』!」とファンキー加藤。そして新曲「ランウェイ☆ビート」を熱唱。やってくれるじゃないですか、ファンモンさん!
このステージは、会場に詰めかけたおしゃれ女子たちへの最高のプレゼントになったに違いない。特に、私にとってはこれ以上ないギフトでした。
行ってよかった神戸。神戸で会えてよかった、ビートたちに、ファンモンに。やっぱり私にとって、神戸は昔もいまも特別な街。そうしみじみ感じながら、潮風に吹かれ、まだまだ会場へと向かうおしゃれ女子たちとすれ違いながら、ポートライナーの駅へと戻った。駅前でうっかりタコ焼きを買いそうになりながら。
神戸コレクション速報:
http://kobe-collection.com/report/flash_kobe2.html
2010.08.06 Friday
ランウェイ☆ビートが帰ってくる!
しかしまたしても久しぶりのブログ。
パリに滞在中は日記代わりにブログを書き続けていたが、東京に戻ってきたとたんに気が抜けてしまった。その後また、旅から旅、執筆の日々。
いまはサンフランシスコ国際空港のラウンジでこのブログを書いている。サンフランシスコは、信じられないほど寒かった。ニューヨークは連日40℃近いらしいが、西海岸のほうは7、8月は涼しいんだそうだ。インディアンサマーと言って、10月頃に気持ちのいい夏っぽい日々が続くんだとか。日本の酷暑を考えればうらやましい限り。
そんな暑い暑い夏の1日、私は映画のロケ見舞いに出かけた。
ケータイ小説「ランウェイ☆ビート」が映画化されることになり、埼玉にある廃校をつかってロケが行われているという。天才的なファッションセンスを持つ高校1年の転入生:溝呂木美糸(みぞろぎびいと)が、モードの力でクラスメイトを変え、世界を変えていくー というのがあらすじ。かつてこのブログにも書いたが、ケータイで連載しているときは、ほんとうに楽しかった。たくさんのティーンがコメントを寄せてくれて、私自身もわくわくしながら書いたものだ。愛情をこめて小説の中に書きつづった登場人物たちが、生身の人間になって帰ってくるとは。わくわくするな、ってのは無理な話です。
さて、ティーンの読者のみなさん(そしてお母さんたち!)がもっとも気になるのは、キャスティングだろう。主人公のビートは今をときめくイケメン俳優、瀬戸康史君。クラスメイトのワンダを田中圭君、メイを桜庭ななみさん、ミキを桐谷美玲さん、アンナをIMALUさん、ゴウダを加治将樹君が演じる。そしてビートのおじいちゃんを中村敦夫さんが演じたりもして、信じられないキャスティングに、さらにわくわく。
さあ、ビートとその仲間たちに会いにいざ埼玉へ!夏ど真ん中、廃校を使って撮影中・・・ってことは当然エアコンもない。この殺人的な暑さの中で、いったいどんな状態で撮影しているんだろう。ちょっと心配。
夫の運転の車で到着したときは、ほとんど真昼。駐車場から撮影現場へ5分歩いただけでもう汗だく。はたして、現場はまるで蒸し風呂。そんな中で、役者さんたちは、きびきびと、また感情たっぷりに撮影中だった。大谷監督にごあいさつしたが、監督のTシャツも汗でじっとり。「いやあ、暑いです。でもみんな、よくやってくれてます」とのコメント。
(校庭を背景に大谷監督と。うしろに後述の桜が見えてます。)
教室の中を眺め渡すと、あ、いたいた!ビートが、ワンダが、実にいきいきと演じているではないですか。っていうか、ほとんど小説の中から抜け出してきたかのようなそのまんまぶり。演じている感じがないほど、ごく自然に、楽しそうに振る舞っている。しかもなんだかさらさらしてて、全然汗もかいてないし。いやあ、ほんと若いっていいなあ・・・(しみじみ)。
「秋、春のシーンがあるんですけど、夏のシーンが全然なくて。だからメインになるファッションもほとんど秋冬の服だし、暑そうにするわけにはいかない。でも彼らはしっかり演じてくれていますよ」と大谷監督。やはりプロともなれば汗もコントロールできるものなんだろうか・・・。
撮影風景を1カット、拝見した後、ビート(瀬戸君)と話すチャンスをいただいた。サイン入りの「ランウェイ☆ビート」を手渡して、「ビートを演じてみてどうですか?」と訊いてみる。「僕も洋服が大好きで、自分で作ったりしてたことがあったんで、ビートと自分が似てるって感じてます。だから全然、演じてて違和感がないんです」と瀬戸君。はあ、なんとさわやかな青年なんだろうか。あなたはビートそのものです。と、秒速で「原作者認定」。
(ビート役の瀬戸康史君)
そのあと、ワンダやゴウダ、メイやアンナとも会って、それぞれに本を手渡した。みなさん、本当に役になりきって楽しそうだったのがとても印象的だった。持って行ったうちわに、みなさんのサインをいただいたのだが、全員「ビート」「メイ」「アンナ」「ワンダ」とサインしてくれたのがうれしかった。

(メイ役の桜庭ななみさん、アンナ役のIMALUさん)
(ゴウダ役の加治将樹君、ワンダ役の田中圭君)
灼熱の校庭に、ぽつんと桜の木が立っていた。この桜、重要なシーンで登場するらしい。どんなふうに、スクリーンに現れるんだろうか。映画の中であの桜の木をみつけたら、暑い夏の熱い教室を思い出すんだろうなあ、きっと。
2010.04.15 Thursday
ピカソの隣人より 4月の新刊のお知らせ

(新作 星がひとつほしいとの祈り)
本日4月15日、新刊が書店に並びました。
タイトルは「星がひとつほしいとの祈り」。
きなり色のシンプルな表紙に、文字通り、金色の星がひとつキラリ。
さまざまな世代の女性たちの、試練と旅だちのときを描いた中篇集です。
読み返してみると、私の旅のファイルのようにもなっている。
年がら年じゅう旅がらすをやっているのは周知の事実なのだが(フーテンのマハの異名もアリ)、旅先のふとした出会いや偶然の出来事が、小説の種になることが多い。だからひとつの旅が終わると、また別の小説の種を求めて、次の旅へと出かけることになる。いったいいつ東京にいて、いつ仕事をしているのか??と周囲からはしきりに不思議がられているのだが。
この小説集は、そうやって方々を遍歴して集めてきた旅のきれぎれを、ドラマに仕立て上げたものだ。
「椿姫」という一編だけは東京が舞台だが、それ以外は、大分県日田市(夜明けまで)、愛媛県松山市(星がひとつほしいとの祈り)、新潟県佐渡市(斉唱)、秋田県男鹿市(寄り道)、高知県四万十市(沈下橋)…などなど、狙ったわけではないが、ほどよく拡散して地方に舞台を求めている。
「夜明けまで」という物語などは、湯布院から博多へ向かう特急に乗っていて偶然通過した駅の看板をわずか2秒、目にした瞬間に、またたくまに着想した。その駅の名前が「夜明」だったから。
表題作の「星がひとつほしいとの祈り」は、もともと私が中学生のころ大好きだったフランスの詩人、フランシス・ジャムの詩集のタイトルで、ずっと心にしみこんでいるものだった。内容は、松山の道後温泉に旅したときに出会った老マッサージ師をモデルにして書いたものである。こんなふうに、少女時代に印象に残っていたタイトルが、幾年つきを経て、自作の小説に結びつく不思議さを思わずにはいられない。
この本を作るにあたっては、パリ滞在時に遠隔操作で、実業之日本社・担当編集者のSさんと頻繁にやりとりをした。
前作「インディペンデンス・デイ」もそうだったが、自分が日本を不在にしているあいだに、2冊の本の出版準備をしなければならなかった。しかしSさんもまた、日本=フランスの距離も時差もものともせず、実にてきぱきとフォローしてくださり、見事に仕上げてくださった。Sさん、ほんとうにありがとうございます!
旅すれば、それはやがて物語になる。
今回のパリ滞在も、その長さを考えれば、かなり壮大な物語になるはずだ。って長さと内容はべつだん比例しないのだが。
2010.04.12 Monday
ピカソの隣人 とりあえず帰国報告

(深大寺の桜、満開!)
えーと、現在2010年4月12日午後4時半です。
いきなりですが、ピカソの隣人は日本に帰国しました。
とりあえずは、ご報告しとかなくちゃ!とあせってブログを更新しています。
というのも、「原田マハは4月になってもまだバーゼルでチーズフォンデュ食べたり家具のショールームを観たりしてるらしい」「まったく仕事をしてないんじゃないか」「4月に帰国するって言ってたのに、さてはフランス滞在延長か」などと、多方面から疑惑の声が上がっているので。
ブログではすでに一か月近くのタイムラグが生じてしまっております。
これもすべてわたくしの怠慢で・・・じゃなくて、書くことがあんまり多すぎて、ですね。
って、なんで「ですます言葉」&言い訳しているんだろう、私・・・・・・。
というわけで、とりあえず帰国はしたものの、このさき一か月くらい「ピカソの隣人シリーズ」は続く。とっくに「深大寺の隣人」に戻ってるんですが。
これからがめくるめく山場続き。こりゃもうやめるわけにはいかない。どうか皆さま、お付き合いください。
2010.04.07 Wednesday
ピカソの隣人 ヴィトラのショールームへ行く

(ヴィトラ社のショールーム)
バーゼルに数ある美術館の中でも、特筆すべきは「ヴィトラデザインミュージアム」。正確にいうとバーゼル市内ではなく、スイスとの国境を越えたすぐのドイツ国内にあるのだが、バーゼル市内からバスで20-30分ほどで着く。まわりになんにもない郊外の広大な土地に、家具メーカーのヴィトラ社の本社と工場、そして美術館がある。
美術館はアメリカ建築界の奇才、フランク・ゲイリーの設計で、工場やオフィスもザハ・ハディードや安藤忠雄など名だたる建築家の手によるもの。
私はキュレーター時代に、何度もこの美術館を訪れた。小さいながらも特徴のある企画展がすばらしい。
つい先日、ドナルドが所属する建築事務所ヘルツォーク&ド・ムーロン(HdeM)が手がけた「まったく新しいタイプのショールーム」が、美術館の向かいにオープンしたということで、ドナルドとともに見に行った。
外観はHdeMらしい奇抜なデザイン。立方体を複雑に組み合わせた形が「さあ見にいらっしゃい、おもしろいよ」と誘いかけているようだ。
中は階層が複雑に入り組んでいて、さながらプレイランドの赴き。上へいったかと思うといつしか下へ向かっていたり、こっちを見たいと思ったのに、あっちを見てしまったり、と迷路のような楽しさがある。東西に設けられた大きな窓からは豊かな自然の風景が見渡せる。そういう環境の中に、実に巧みにおしゃれ家具が配置してあり、つい座ったり触ったり。「ああ、ここが自分の家だったらな・・・・」と妄想せずにはいられない。

(立体的な空間構成)
ショールームらしからぬショールームに、訪れている人々はすっかりはまっている様子。子供たちも大喜びで(子供部屋のショールームもあった)、「パパぁ、あたしの部屋こんなのがいいッ!」とおねだりして騒いでいる(たぶん)。カップルは「将来はこんな部屋に住もうね・・・」と思わずラブラブモード。私はいまだかつてこんなに人々を夢中にさせるインテリアのショールームを見たことがない。もちろん家具も空間もすばらしかったが、何より人々が熱中しているのを見るのが楽しかった。

(ショールームからの風景)

(テラスで風景を楽しむ人々)
しかし熱中するだけであっさり帰られては会社的にはやっていけない。そこはさすが、なのだが、新しいタイプのショッピングシステムを導入している。
スタッフに頼んでその日限りのIDカードをもらう。これをタッチパネル型PCに挿入して、自分の名前とメールアドレスを入力。そしてほしい家具を検索し、値段をチェック。すぐに買わなくても、「興味あり」とクリックすれば、日を改めてヴィトラ社からメールが届くというもの。これにはうならされた。「焦って買わなくてもいいですよ、ゆっくり考えて決めてください」という余裕のメッセージが、かえって購買意欲を刺激する。うーむ、おそるべしヴィトラ社。

(タッチパネルでお買い物)
ドナルドはさっそく登録して、気になるチェストをチェックしていた。私だって気になりまくりなのだが、さすがに東京まで送ってもらう財力はなし。指をくわえて嘆息するばかり。
いつかはヴィトラでマイケル買い。ああ、またひとつ見果てぬ夢が増えてしまった。
2010.04.04 Sunday
ピカソの隣人 チーズフォンデュを食す

(市庁舎前で朝食)
バーゼル三日目の朝食は、近所のカフェに食べに出かけた。
「純喫茶」とでも呼びたいような風情のカフェは、市庁舎前広場で19世紀末から営業を続けているという超老舗。日本橋の「藪そば」みたいなものだろうか。クロワッサンの味はパリにはかなわないが、おとぎ話に出てきそうな古い市庁舎を眺めながら気分良く朝食。
さて本日はドナルドもオフで、私の行きたいところへ付き合ってくれるという。私のリクエストは「スイスで一番キレのいいチーズナイフを買いに行く」。こんちゃんの家で使っているチーズナイフを、いいなあ、と思っていたのだ。スイス製かドイツ製のチーズナイフをバーゼルで買って帰ろうと心に決めていた。
ところがドナルドと迷い込んだのは、めちゃくちゃおもしろい古本屋。アート、建築を中心に古地図や地元アーティストの作品までも扱うこの本屋に夢中になり、なかなか次に進めない。哲学者然とした店の主人は、聞いてみると音楽史の研究者だとか。こんなふうに好きな本に囲まれて自分の研究もできる生活、憧れるなあ。

(名物の古本屋)
ランチは地元っ子の通うレストランで「ベリーバーゼル」な定食を。
で、あっちこっちうろうろするあいだに日が暮れる。結局、チーズナイフはみつからなかった。ドナルドが「マハがパリにいるあいだにナイフをみつけて持っていくよ」と言ってくれる。ああ友よ。君はなんていいやつなんだ・・・

(バーゼル名物でランチ)
夜はドナルドの仲間の若手建築家の家へ遊びにいく。
おりしも「チーズフォンデュパーティー」が開催されていた。日本でいったらもろ鍋パーティーという感じ。たっぷりのチーズを鍋に溶かし、白ワインとすりおろしたにんにくなどを加え、フォンデュを作る。そこに野菜や肉を串に突き刺してディップして食べる。
んもううますぎて、食べても食べてもまだ食べられる。ちなみにビールは絶対にご法度だそうだ。胃の中でチーズが固まってしまい、七転八倒の痛さになるとか。(実際みんなワインとお茶を交互に飲んでいた)

(チーズフォンデュ)
やり手の若い建築家たちのつどいというので、容積率の話にでもなるかと思いきや、メイントピックは「かろうじて乳首のかくれている水着であってもそれはヌードではないのか」ということ。んなことを大まじめに口に泡して大議論するスイス人とドイツ人とブラジル人とアメリカ人とカナダ人。日本人はひとり、ひたすらフォンデュを食べてごまかした。たとえ乳首は隠れてても、乳房がもろに出てんならヌードじゃないか!と心の中で叫びつつ(弱気)。

(若手建築家の集い)
そんなこんなで、マイナス5℃の夜が更けゆく。
2010.04.01 Thursday
ピカソの隣人 ルソー展を観にいく

(ライン川にかかる古い橋)
バーゼル訪問の最大の理由。それは、バイエラー財団の美術館で開催中のアンリ・ルソー展を見ることだった。
日本にもファンの多い画家・ルソーは、「素朴派」とか「日曜画家」とか「元祖ヘタうま」とか言われているが、調べてみると謎の多い画家だ。
私は十代の頃からどうもルソーの絵に奇妙に魅かれて、「いつかルソーについて何か書こう」と、物書きになるつもりもなんにもない頃から考えていた。作文とかマンガとか論文とか、なんでもいいからルソーをテーマにした何かを書こう、と。
四半世紀もそんなことを考え続け、念願かなって小説を書くことになった。なんであれ、あきらめずにしつこく考え続けていると形になるものなんだ、と悟る。
小説の中にはいくつかの舞台が登場する。倉敷、ニューヨーク、パリ、そしてバーゼル。「007」か「ミッション・インポシブル」かというレベルの(嘘)、世界を股にかけたアート冒険譚になる予定だ。
バーゼルを舞台のひとつに選んだのは、歴史的なアートシティであること、そして、私がひそかに敬愛していた伝説のコレクターでギャラリストの存在があったからだ。
その人の名は、エルンスト・バイエラー。バーゼルアートフェアの仕掛け人で、小都市バーゼルを国際的なアートマーケットの中心地にのし上げた立役者だ。大変な彗眼の持ち主で、すばらしいコレクションを形成し、それをもとに「バイエラー財団」を設立、美術館をオープンした。建築家レンゾ・ピアノ設計によるこの美術館はバーゼル郊外にあり、美しい山々を背景にした自然に溶け込むかのような流麗な建築でも知られる。
それにもましてすばらしいのはコレクション。バイエラー氏が生涯をかけて集め続けた数百点の名画の数々は嘆息もの。個人の情熱と感性が形成した名コレクションは、まさにバーゼルの至宝である。
このアート界の巨星のごとき人に、私は何度か会い、親しく会話をしたことがある。ちっともかたくるしいところのない、アートが好きで好きでたまらない、という感じの人だった。彼に強く魅かれた私は、彼をモデルにしたコレクターを重要人物として小説の中に登場させたい、とひそかに目論んでいたわけだ。
パリでの長期滞在は、ルソーの足跡をたどるためでもあったが、実はパリの美術館にあるルソー作品はほとんどが留守。ここバーゼルの美術館に集結していたのだった。
展覧会を企画したキュレーターのフィリッペに、懇切丁寧に展示を案内してもらう。
展覧会は完成度の高い、集中力のある、すばらしいものだった。専門家の説明を聞きながら、というのもすばらしかったが、何より個性の塊のようなルソー作品を実に効果的に展示している。パリの美術館で見るルソーとは、一味違うものがあった。
そしてフィリッペから衝撃的な話を聞く。
実は、バイエラー氏が2週間前に88歳で亡くなったとのこと。このルソー展のオープニングが、彼が人々の前に姿を現した最後の瞬間だった、ということだった。
ちょうど100年まえ、ルソーが天に召された。その100年後にバイエラー氏が亡くなったとは。
バイエラー氏がもっとも愛したという、ルソーの熱帯風景の作品の前で、しばし偉大なるコレクターの死を悼む。
ルソーの小説を今年書く、という私の決意は、何か運命的に導かれているような気がする。

(雪の積もった美術館の庭)
2010.03.31 Wednesday
ピカソの隣人 旧友に会う
バーゼル在住の建築家、ドナルド・マックとは10年来の友人である。
私が森美術館準備室に勤務しているとき、一緒にプロジェクトを手がけて以来の仲。世界的建築家ユニット、ヘルツォーク&ド・ムーロン(HdeM)のプロジェクトリーダーとしてバーゼルに移り住み、7年が経つ。
ちょうど私が「カフーを待ちわびて」で小説家デビューしたとき、日本を訪れていた。「小説家になったよ」と告げると、「ワアオ!ザッツ・クール!!」とおもしろがっていた(冗談だと思ったのかも・・・)。しかし今回、私が新作小説の準備のためにパリに長期滞在し、かつバーゼルまで取材にきたと知って「ほんとに小説家になっちゃったんだね…」と驚いていた。キュレーター時代にいまより−10kgのスリムな体であちこち飛び回っていたあの頃の私と、毎日パソコンに向かい合って締め切りと格闘しているあの頃より+10kgいまの私・・・ってのが、どうも一致しないらしい。
粉雪舞い散るライン河の夜景を背景に、ファイアープレイスの火があたたかく跳ねる「トロワ・ロワ」のロビーでドナルドと再会。バーゼル在住で香港系カナダ人なのに京男のごとくはんなりとしたドナルドは、あいかわらずのいい男っぷりだ。

(HdeMのドナルド)
「ドナテロ」というイタリア料理店に夕食に出かける。店内には色々なアーティストたちのドローイングがあちこちに飾ってある。なんでも、「支払いはこれで・・・」とドローイングをその場で描いて残していったアーティストもいるとか。ピカソ、レジェ、アンディ・ウォーホルなどなど、「そりゃ現金よりドローイングのほうがいいよ」と言いたくなるようなアーティストがいっぱい。ならば私も「これで・・・」と一句ひねって置いていったらどうかな。即、警察に電話でしょうね。

(アーティストが通った老舗、ドナテロ)
お互いのいままでのできごとなど、和気あいあいと話していたが、突如「ところでバーゼルを舞台にどんな小説を書くの?」と、ドナルドから鋭い一撃をくらう。
ああ、それだけは訊かないでほしかった。なぜって、複雑なあらすじを解説するには、私の英語力は貧弱すぎる・・・・・・と思いつつ、あらん限りの単語を駆使して説明。英語で話すとものっすごいシュールな内容に聞こえる。ドナルドは目をぱちくりして聞いていたが、「それで、最後はどうなるの?」と。
だからそれを考えるためにバーゼルに来たんだってば!とは言えずに、うーん、とうなる私。パリに帰るまでに教える約束をしてしまった。大丈夫か私・・・・?
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